管理人 : 松浦明宏
新刊拙著『プラトン後期的ディアレクティケー -イデアの一性と多性について-』
この3月(2018年)、晃洋書房さんから新しい拙著を出します。タイトルは、

『プラトン後期的ディアレクティケー -イデアの一性と多性について-』

です。内容を簡単に紹介します。

イデアは一であるだけでなく多でもあるとプラトンは分割と総観の方法を通じて考えていた。分割と総観に通底する一性と多性が『パルメニデス』篇第二部のアンチノミーに反映され、「多でない一」と「多である一」が描かれている。特に「多である一」には対話篇第一部のイデア論批判に対応する鍵が隠されている。対話篇第一部に描かれているイデア論批判は、基本的にイデアは多ではない、イデアは他のものと関係を持たない、という仕方で、イデアの多性や関係性を否定し、一性や非関係性のみに定位した形で成り立っている批判である。そうである以上、イデアは多でもあり、他のものと関係を持つことを示せば、そうしたイデア論批判は効力を失う。第三人間論がその典型である。ポンド原器を例に出すなどしてイデアの一性に固執する必要はなく、イデアは多でもあると言えば、第三人間論はイデア論批判としては失効する。プラトンが『ソピステス』篇で分割法を駆使できたのも、その基礎として、イデアが多に分かれることを『パルメニデス』篇第二部で自ら示していたからである。ディアレクティケーの創始者とされるエレア派のゼノンは、帰謬法的なディアレクティケーによって、一を肯定して多を否定したのに対して、プラトンは、分割と総観の方法という後期的ディアレクティケーによって、一と多の両方を肯定した。

上の議論の序論として、中期対話篇に顕著な「仮定の方法」と後期対話篇に顕著な「分割と総観の方法」という二つのディアレクティケーの関連をさぐり、『国家』篇に見られる「仮定の方法」は実質的に「分割と総観の方法」であることを示すことで、プラトンの中期と後期との間にディアレクティケーという観点から一貫性を見いだす。

おおよそ、このような内容の本です。

プラトンのイデアに多性を主張したり、『国家』篇のディアレクティケーの記述(特に、「仮定の破棄(anairein)」)に、事実上、分割と総観の方法が描かれていると主張したりする本書の考え方が、現在のプラトン研究者にそれほど簡単に受け入れていただけるとは思いませんが、近い将来プラトン研究に普及し、プラトンのイデア論について新しい研究が始まることを願っています。



# by matsuura2005 | 2018-02-18 20:32 | 研究ノート