管理人 : 松浦明宏
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パターナリズム
今日、研究室で紀伊国屋から届いたばかりのフローレンス・ナイチンゲール著『看護覚え書 改訳第6版』(現代社)をぱらぱらとめくっていたところ、「十二、おせっかいな励ましと忠告」の節が面白そうだったので読んでみました。

ろくに患者の病気のことなど知りもしないくせに、見舞いに来て患者に余計な「元気づけ」をしても患者は疲れるだけだということ。そんな余計なおしゃべりより、赤ん坊や鳥や犬の方が、よほど患者を元気づけることができるということ。つまり、主治医と何年もかけて話し合ってきたうえで現在の療養生活を送っている人のところへ、見舞いに訪れた人が、こんな医者にかかっているから治らないのだ、もっといい医者を紹介してあげる、とか、主治医の考えたことなどそっちのけで、ただ、これをすればよくなるとか、これを飲めばいいとか、無責任な励ましや忠告をすると、患者は混乱して疲れてしまう、ということです。

少し状況は違いますが、何かこれに似たようなことがあったなぁ、と、昔の自分を振り返って思いました。私は、大学のある仙台ではなく実家近くの病院に入院したこともあって、見舞いに来てくれたのは、家族の知り合いがほとんどで、見舞いにきてもほとんど母親や父親と話をしていました。その意味では、そのお見舞いの人たちは、私に「余計な元気づけ」をしたわけではなく、ナイチンゲールの本に書かれている状況とは違うわけですが、その代わりに、私の場合は、せっかくお見舞いに来てくれた人たちを無視しているわけにもいかず、かといって話の内容に入ってもいけず、ほとんど愛想笑いばかりしている状態が続き、そのことでかなり疲れたことを覚えています。しかも、お見舞いの人が次々と来ると、それだけでその日はぐったりとしてしまいました。このあたりはナイチンゲールの本とよく似ていると思いました。


「ほんとうに病状の悪い病人は、自分のことをあまり話そうとしないものである。」(167ページ)

まさにその通り。図星です。患者というのは、本当に危なくなると、それがわかる。しかし、というか、だからこそ、というか、ともかく、自分の本当の病状を誰にも言わない。一人で抱え込む。私の場合は医師にも言わなかった。大体の病状は話しましたが、肝心なことは話さなかった。言えば自分で自分に向かって死を宣告するような気がしたのかもしれません。特に私のように、これはがんなのではないかと疑っている場合には。実際にそれががんかどうかは別問題です。ともかく、自分ががんなのではないかと疑っているような場合、患者は自分の病状の一番重要な部分を、自分からは言わないのではないかと思います。


さて、書きたかったのは、そういうことではなく、むしろこの本を読んでいて、上述のことに加えて、お世話になったいろいろな医師や看護婦さんたちのことを思い出しているうちに、あるパターナリスティックな医師のことを書きたくなったので、この雑記を書き始めたのでした。

自分の父親の勤めている病院に入院したこともあり、私はいわば優遇された患者でした。普通なら術後一週間(二週間だったかも)で、集中治療室(のような部屋)から一般の病室に移されるのに、どういうわけか私は個室が空くまでその部屋にいることができました。そもそも個室に移れる患者なんてそんなにいない。よほど悪い病気でもない限りは。しかもその個室料金も格安。ギリシア語の辞書とテキストなどをどさっと持ち込んで、勉強するふりだけしていました。これが病室か?「こんな患者見たことないぞ。」と院長に言われたりしていました。

このように優遇された患者を、ある医師はあまりよく思っていなかったのかもしれません。その医師は、父母や他の医師が一緒にいるときには、非常に上機嫌に振舞っており、私に対しても、かなり好意的な態度を取っていたのですが、あるとき、その医師一人で回診に来たときに、私が、「胃カメラは気もち悪くていやですねぇ」、と、私としては、冗談半分で笑いながら言った時、態度が急変しました。ベッドの頭部にもたれて半分起き上がった状態になっていた私の頭上で、壁に両手をつき、私を見下ろし、にらみつけて、私にはいわゆるドスのきいた声と聞こえる声でこういいました。「ふざけるんじゃない。皆んな苦しいんだ。苦しいのをがまんして検査受けてるんだ。そうだろう。」その剣幕に驚いた私は、何も言えず、ただ黙っていました。

この医師が言っていることは正しい。決して間違ったことを言っているわけではありませんし、言わんとしていること、気持ちも多分正しい。その意味では、この医師に非はありません。しかし、その言い方にはやはり問題があった、と今でも私は思っています。

確かに、私は優遇された患者で、この医師には、甘やかされた患者とうつっていたのかもしれません(これは想像ですが)。そのことと上述の私の発言がおそらく相まって、そうした振る舞いをすることになったのかもしれません。しかし、やはり、患者の上に覆いかぶさるような威圧的な仕方で、私にはほとんど「暴力団員」のように見えるような仕方で、言うべきではなかった。

このことがきっかけで、その医師の言っていること自体は正しいことだとは承知しつつ、私はその医師を信用できなくなりました。

医師のこうした態度が、私には、いわゆるパターナリズムなのではないかと思えます。
その意味では、パターナリズムは、確かに、医師に対する信頼を失わせるものだと思えます。パターナリズムというのは、発言の内容によってではなく、発言するときの振る舞いによって、患者の信頼を失わせるものだということです。

これは実話です。その医師の名前と顔を今でも覚えています。しかし、証拠はありません。証人もいません。病室にビデオカメラが回っていたわけではありませんし、医師と患者が一対一になった場面で起こったことなのですから。

だから、医師の人となりが重要なのだと思います。患者以外の誰もいないところで医師がどう振舞うか、その振る舞いを決めるのは医師の人となりだけです。


P.S.
読み返して思ったのですが、こういう事例は果たしてパターナリズムと言えるのでしょうか。ひょっとすると、ただ単に、私がその医師に嫌われていて、その医師の個人的な感情が表れただけなのかもしれません。言葉の上では、患者が嫌がっていても患者のために厳父か暴力団員かはわかりませんがとにかく威圧的に胃カメラ検査を勧めているのですから、何となくパターナリズムという言葉があてはまりそうですが、単に贅沢な患者に腹が立っていただけだとすれば、パターナリズムという言葉が適切なのかどうか(04/02/27)。
by matsuura2005 | 2004-02-26 08:06
哲学講義20 - プラトン(8) イデア論批判 -
プラトンのイデア論については、いろいろな批判があります。古くは、アリストテレスが行ったものや、プラトン自身が『パルメニデス』で描いているものが有名で、他方、新しいところでは、ドレイファスがインターネットとの関連でプラトニズムを批判しています。まず古代の批判からみていきましょう。

プラトンの『パルメニデス』では、たとえば、次のイデア論批判が提示されています。
すなわち、イデア論によれば、たとえば、(1)多くの大きなものを見渡して、それらに共通する一つの「大(のイデア)」があると考える。すると、(2)それら多くの大きなものとその一つの「大」とを心眼で見渡せば、それら多くの大きなものとその一つの「大」とに共通する一つの「大」が現われる。となると、先の「大(のイデア)」の他に、もう一つ「大(のイデア)」が現われることになるから、大のイデアは一つではなく、無数にあることになる。(これと同系統のイデア論批判をアリストテレスも行っていて、それが第三人間論と呼ばれます。)

このイデア論批判については、次のように考えることで、イデア論を擁護しておきます。上記の批判は、「多くの大きなもの」の意味内容をずらすことによって、初めて成立する。つまり、イデア論が想定している(1)の「多くの大きなもの」は、心眼で見られるものではなくて、肉眼で見られるものであるのに対して、(2)の「多くの大きなもの」は、肉眼で見られるものではなく、心眼で見られるものであり、心眼で見られる「多くの大きなもの」は、イデア論の範囲内には存在し得ない。イデア論の範囲内では、心眼で見られる大は、大のイデア一つだけである。なぜなら、もともとイデア論は、感覚的事物(肉眼に見られるもの)の成立根拠は何か、という問いに対して答えようとしたものである以上、心眼で見られるものという、「成立根拠の場面」の中に、根拠づけられるべき「多くの大きなもの」を想定することは、根拠の場面と根拠づけられるものの場面とを混同することに他ならないからである。従って、件のイデア論批判は、上述の混同に基づくものであり、イデア論の内部的な不整合を指摘したものではない。その意味で、それは「批判」になっていない。

次に、「イデアは生成を説明しない」という批判についてみてみます。アリストテレスによれば、イデア論の最大の難点は、イデアは感覚的事物に対していかなる運動や変化の原因でもなく、感覚的事物の生成を説明するのに、イデアは不要である、ということにあります。アリストテレスによれば、多くの家に共通する一つの名前「家」を、プラトンのように、多くの家とそれらから離在する家のイデア、という仕方で考える必要はない。多くの家を質料(「これ」)、「家」という共通名を「このようなもの」(形相)と考え、そうした「質料」(「これ」)の中に「形相」(「このようなもの」)を生ぜしめる原因として、「製作者(大工)」という「起動因」を想定すれば、家のイデアなどなくとも、家という事物の生成は説明できる。言い換えれば、アリストテレスによれば、「プラトンは、本質と質料という二つの原因のみを用い」、「変化の始まる原因(起動因)を全く考えていない。」

しかし、プラトンの『ティマイオス』では、デーミウールゴス(職人の謂)は、イデアを見ながら、それを真似て、この世界を作ったのですから、プラトンなりに事物生成の起動因を考えていたように思えます。デーミウールゴスを起動因と考えれば、イデアという形相因と、質料因の他に、起動因も想定されていたことになるわけです。イデアという善美なるものを真似てデーミウールゴスがこの世界を作った、というプラトンの譬え話のうちに、実質的には、アリストテレスの起動因も目的因も形相因も質料因も含まれているのではないかとさえ思えてきます。

もちろん、アリストテレスの趣旨は、イデアなしでも自然界の生成を説明できる、というところにあるのですが、たとえば、そもそもこの自然界の事物がなぜ存在するのであって、存在しなかったのではないのか、という問いについて、アリストテレスの四原因論とプラトンのイデア論とを比較したとき、どちらかといえば、プラトンのイデア論の方が、この問いには答えてくれそうに思えるのです。自然界の事物が生成・存在する「原因」というよりはむしろ「根拠」、自然の事物がそのように生成・存在して善い理由を問うたとき、果たして、アリストテレス流の説明がどこまで機能するのか、私には疑問が残るのです。

(プラトンの『ティマイオス』は後期作品であり、『パルメニデス』が書かれたのは、後期初頭に、アリストテレスがアカデメイアに入学してきた時期と重なると考えられる。だから、プラトンは、『パルメニデス』を書いたあたりの時期に受けたイデア論批判を考慮して、『ティマイオス』を書いた可能性もある、という点も考慮に入れなければならないのかもしれません。しかし、たとえそれを考慮に入れたとしても、上記の問いに、アリストテレスの四原因論が答えられないとすれば、『ティマイオス』が書かれた時期の問題は、とりあえず脇にのけておくことができるでしょう。)

ちなみに、アリストテレスの四原因をまとめると、次のようになります。
・質料因とは、「それは何からできあがっているか」と問われたときの「何」にあたるもので、「素材」のこと。「ヒュレー」と呼ばれる。
・形相因とは、「それは一体何であるか」と問われたときの「何」にあたるもので、ものの「本質」のこと。
・起動因とは、「それは何によって生み出されたのか」と問われたときの「何」にあたるもので、家を作る大工や職人などのこと。
・目的因とは、「それは何を目指して生み出されたのか」と問われたときの「何」にあたるもので、鋏の場合には「切るため」という用途のこと。

アリストテレス自身はこれら四原因をすべて自然の内部にあるものとして説明しようとしているようです。アリストテレスにとって「自然」とは、「自分自身の内に運動変化と静止の原理をもつもの」ですから。しかし、プラトンの『ティマイオス』では「原因」は必ずしも自然内部に限られるわけではないようです。このあたりが、おそらく、アリストテレスとプラトンとの違いを考える上で、一つの重要な視点になってくるのかもしれません。これについては、アリストテレス哲学の講義の中でより詳しく触れることにします。

さて、以上は、古代におけるイデア論批判についての話でしたが、ここで話題を転じて、現代のプラトン批判を見ることにしましょう。ドレイファスというハイデガー研究者は、『インターネットについて 哲学的考察』(産業図書)の中で、次のようにプラトンを批判しています。

プラトンやソクラテスは、魂をできるだけ身体的なものから引き離すべきだと言う。ところで、インターネットによるコミュニケーションは、身体的なものから離れた、言葉や写真などの画像・動画のみによるコミュニケーションである。とすれば、インターネットの世界は、文字通り、身体から離れた、プラトニズムの一つの形態である。しかし、そうした世界は、匿名性により、人から関与(コミットメント)を失わせ、超然とした態度・関わりのなさ(ディタッチメント)を引き起こす。プラトン流に身体から魂を引き離すことは、人と人との真の意味での交流を失わせるものであり、従って、われわれは、プラトンとは逆に、より身体性を重視しなければならない。およそこのような趣旨で、ドレイファスは、プラトニズムとインターネットの世界とを等置しながら両者を批判しています。

しかし、それにしても、これほど見当違いのプラトン批判もめずらしい。プラトンは『第七書簡』や『パイドロス』の中で、書かれた言葉に対して疑問を呈しており、教師と弟子とが共同生活をしながら直接対話を交わしあうことによって、本当の哲学の営みを行うことができると述べています。この点については、既にこのプラトン講義の中で何度も言ってきたことですので、ここではこれ以上繰り返しません。

教師と弟子とが直接対話することによる交流、その際に、魂からいわば飛び火のように点ぜられた、魂の中に書き込まれる言葉によって、哲学の精神が伝達される。これは、ドレイファスの言う「関与」なしにはありえないことでしょう。その意味で、ドレイファスは、プラトンを批判しているどころではなく、自分自身気づかぬうちにプラトンと同趣旨のことを述べているのです。

プラトンが魂を身体から引き離せというのは、人と人とが直接対話する場合でも、書かれた文章などを通じて間接的に交流する場合でも、話題や関心をなるべく身体的なものから引き離して、精神の場面で真理の追究に向かえということです。ドレイファスの言う「インターネット」と「実際の対面」との区別は、プラトンの言う「書かれた言葉」と「魂の中に書き込まれる言葉」との区別に相当し、ドレイファスが「実際の対面」を重視していることは、プラトン流の「魂の中に書き込まれる言葉」を重視することに他ならないわけです。魂の中に書き込まれる言葉を得るには、直接対面しながら交流するほかないのですから。

その意味で、ドレイファスのプラトン批判は的外れであり、前回取り上げたスポンヴィル同様、ドレイファスもまた「釈迦の掌の上の孫悟空」にすぎないわけです。
by matsuura2005 | 2004-02-20 17:14
哲学講義18 - プラトン(6) 霊魂不滅の証明・ソクラテスの死 -
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ジャック・ルイ・ダヴィッド(1787年)
「ソクラテスの死」


ジャック・ルイ・ダヴィッド(1748-1825)は、ルーブル美術館にある「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式」などで有名な、新古典主義の歴史画家ですが、そのダヴィッドの作の絵の中に、「ソクラテスの死」があります。
この絵は、ご覧の通り、ソクラテスに同情的な役人からソクラテスがまさに毒盃を受け取ろうとしているシーンを描いており、集まった弟子たちが悲嘆にくれているのに対して、ソクラテスだけは何か毅然とした態度で死に臨んでいるようにわたしには思えます。

さて、今回の哲学講義は、プラトンの『パイドン』に描かれた霊魂不滅の証明とソクラテスの死の場面を見ることにします。『パイドン』という対話篇は、ソクラテスが死刑を執行される当日に弟子たちと交わした会話を記すという形で書かれたもので、その中で、死を目前に控えたソクラテスが霊魂不滅の証明を行っています。いわゆる心身二元論や、あの世とこの世の二世界説とも密接に関わる描写の行われる対話篇で、『饗宴』とは対照的に、全体的に禁欲主義的色彩が濃厚な対話篇です。

わたしの個人的な感想をいえば、『パイドン』は、『パイドロス』のパリノーディア(歌い直し)の箇所と並んで、プラトンの数ある対話篇の中でも、出色の作品です。もちろん、『饗宴』、『国家』、『ソクラテスの弁明』、『ゴルギアス』等々、プラトンの対話篇の中には、甲乙つけがたい作品が多いわけですが。
ところで、その霊魂不滅の証明ですが、『パイドン』の霊魂不滅の証明には、いくつか段階があります。対話相手の要請に応じて、より強い証明へと移っていくのです。(以下はもちろん概略であり、実際にはもっとややこしい話です。)

(1)生と死の循環による証明
死者はかならず生者から死者になり、生者はかならず死者から生者になる。
もし生者が死者になって再び生れ変わるということがないとすれば、
長い間に、すべてのものが死者となって、生者がなくなってしまうはずである。
(しかし、現に、生者がいる。)したがって、生れ変わりということが現にある。
すると、死者の魂はあの世で現に存在していることになる。

(2)想起説による証明
われわれは、たとえば、肉眼を通して等しい事物を見て、
それら等しい事物が等しさそのものに似ようとしているがそれに劣っていると考える。
すると、われわれは、視覚という感覚を働かせる以前に、
等しさそのものについての知識を既に持っていなければならない。
ところで、われわれが生まれてすぐ働かせるのは感覚である。
したがって、われわれは、生まれる前に、既に、等しさそのものについての知識を持っていなければならない。
生まれるや否や、われわれはその知識を忘れてしまったのであり、
その忘れてしまった知識を、感覚に触発されて、想起するのである。
想起されるものが実在し、それについての知識を生まれる前に持っていたのだとすれば、
われわれの魂は生まれる前にも確かに存在しているはずである。

この二つの証明により、死後も魂が存在することは証明されているわけですが、
登場人物ケベスが、依然として、死後、人の魂は散り散りになってしまうのではないかという恐れを抱いているため、
ケベスを説得するためにさらに強力な証明が行われます。

(3)合成的なものと非合成的なものとの区別による証明
肉体は決して自己同一を保つことのない物体的なもの、目に見えるものであり、合成的なものである。
したがって、肉体は散り散りになる。
これに対して、魂は、常に自己同一を保つ神的なもの(イデア)、目に見えないものに似て、
常に自己同一を保つ、目に見えないもの、非合成的なものである。
そして、非合成的なものが散り散りになることはない。
したがって、魂が死後、散り散りになることはない。

ソクラテスのこの説明に対して、登場人物シミアスとケベスは、各々、次のように反論します。

シミアスの反論
琴の弦は美しいハーモニー(調和)を奏でる。
このハーモニーは目には見えず神的なものであり、非物体的なものである。
他方、琴は物体的なものであり、合成的なものである。
ところで、琴が滅びれば、非物体的なものであるハーモニーも滅びる。
したがって、もし魂が肉体の奏でるハーモニーのようなものであれば、肉体が滅びると魂も滅びる。
つまり、琴の音のハーモニーの存在が琴の存在に依存しているのと同様に、魂の存立は肉体の存立に依存しており、
それゆえ、魂が滅びるかどうかは肉体が滅びるかどうかにかかっている、ということである。

ケベスの反論
われわれの生前や死後にわれわれの魂が存在すること、そして、魂が何度も生まれ変わりを続けるということは認める。
しかし、そのことは、魂が何度も生まれ変わるうちに疲れ果ててしまって、
何度目かに死ぬ時に滅びてしまう可能性を排除できない。
これはつまり、われわれの魂が生前に存在するとか、死後に存在するということを証明しただけでは、
魂が不死・不滅であることを証明したことにはならない、ということである。

これらの反論に対して、ソクラテスは、次のように答えます。

(4)シミアスへの答え
シミアスは、想起説を受け入れている。
想起説は、肉体に入る以前に魂が存在していることを認めている。
この意味で、シミアスは、肉体の滅亡には左右されない魂の存在を認めている。
他方、シミアスが、肉体と魂との関係を、各々、琴の弦と、その調和とになぞらえるとき、
シミアスは、肉体がまずあって、その存在に基づいて、魂というものが成立すると考えている。
したがって、想起説と件の調和説とは相容れない。
この指摘を受けると、シミアスは、調和説を放棄し、想起説を採る。
魂は、肉体に支配されるものではなく、むしろ逆に、肉体を支配するものなのである。

(5)ケベスへの答え -霊魂不滅の最終証明-
ソクラテスは、熱、冷、大、小といった個々のイデアが存在することを、
対話者相手たちの同意に基づいて仮定します。
その上で、次の趣旨の、霊魂不滅の最終証明が行われます。

たとえば、雪と呼ばれるものに熱が近づくと、それは融ける。
これはつまり、雪に熱が近づくと、
雪そのもの(雪のイデア)は熱のイデアと反対関係にないにもかかわらず、
雪そのものと本質的に結びついている冷のイデアが、熱のイデアと反対関係にあるために、
雪と呼ばれるものに雪の形相と共に内在する冷たさもまた熱を受け入れず、
雪の形相は(冷たさと共に)その場を立ち去るか滅びる、ということである。
これと同様に、次のように言うことができる。
すなわち、魂の宿る身体に死が近づくと、
魂そのものは死と反対関係にないにもかかわらず、
魂と本質的に結びついている生が死と反対関係にあるために、
身体に内在する魂もまた死を受け入れず、その魂は(その生と共に)身体を立ち去るか滅びる、ということである。
魂と生とが本質的に結びついているとはつまり、
魂は生の原理であって、魂が宿るものにはかならず生もまた宿り、
逆にまた、生が宿るものにはかならず魂が宿っているという仕方で、
魂と生とは不即不離の関係にあるということである。
ところで、死を受け入れないものは不死なるものである。
そして、魂は、上述の理由により、死を受け入れない。
したがって、魂は不死である。
ここで、何かが熱を受け入れないからといって、それが不滅であるということにはならない。
つまり、何かが熱いものか否かということと、それが滅びるものか否かということとは、直接的なつながりがない。
これに対して、何かが死を受け入れないということと、それが滅びないということとは、密接な関わりを持つ。
すなわち、何かが不死なるものであるということのうちには、それが不滅であるということが既に含まれている。
それゆえ、上述のごとく、魂が不死なるものである以上、魂は不滅でもある。

以上のようにして、霊魂不滅の最終的な証明が行われた後、
ハデス(冥界)・イデア界・幸福の島々等についての神話(ミュトス)が語られます。
その神話が終わると、ソクラテスの臨終の場面が描かれます。
この場面は、わたしがギリシア哲学を専攻することを決定づけたという意味で、
わたしにとっては、とても大切な場面です。
要約するより、主として訳の形で紹介したい気がしますので、そうします。
(訳文は、岩田訳(岩波文庫版『パイドン』)と松永訳(岩波全集版『パイドン』)に基づく、
OCTからの拙訳です。)

ソクラテスは、いよいよ毒盃を仰ぐ時刻になると、
毒薬の一部を神々に捧げたいと役人に申し出ますが、
飲むのに適当な量しか作っていないという理由で断られます。
以下は、その続きです。

「わかった、とソクラテスは言いました。
しかし、たぶん神々に祈ることぐらいは許されるだろうし、祈らなければならないだろう。
この世からあの世への移住が幸運なものになりますように。
わたしはこう祈る。そうなりますように、とね。

こう言うと同時にあの方は盃に口をつけ、
顔色ひとつ変えずに穏やかに飲み干しました。

わたしたちの多くは、それまではどうにか涙をこらえることもできたのですが、
あの方が飲んでいるのを見、飲んでしまうのを見たときには、
もうこらえることができませんでした。
われにもあらず、どっと涙があふれでて、
わたしは顔を覆ってわが身を嘆きました。
-あの方のことを嘆くというよりはむしろわたし自身の運命を嘆いたのです。
なんという友を奪われてしまうのか、と。

クリトンは、わたしよりずっと前から涙を抑えられなくなっていたので、
立ちあがって席をはずしました。

アポロドーロスは、前から涙が止まらなかったのですが、
とうとうその時、悲しみと怒りのあまり大声で泣き出したので、
その場にいた人たちすべての心をかき乱しました。
ただし、ソクラテスご自身は別でしたが。

そしてあの方はこうおっしゃいました。
なんということをしてくれるのだ、君たちは。おどろいた人たちだね。
わたしが女たちを家へ送り帰したのは、まさにこのことのためだったのだよ。
こんな間違いをしないためにだ。
人は静寂のうちに死ななければならない、と、わたしは聞いているからだ。
さあ、静かにしたまえ。我慢しなければ。

それを聞くと、わたしたちは恥ずかしくなり、泣くのをこらえました。

あの方は、歩き回っていましたが、脚が重くなってきたと言うと、
あおむけに横たわりました。
-あの男がそうするよう命じていたからです-

と同時に、毒薬を与えた人があの方に触り、
間を置いて、足首やすねを調べ、
あの方の足を強く押し、感覚があるかどうかたずねました。
ない、とあの方は言いました。
その後、今度はすねを押し、そうして、上の方へと上がっていき、
あの方が冷たくなり硬直していくのをわたしたちに示しました。
そしてその人は触りつづけながらこう言いました。
これが心臓まできたとき、逝くでしょう。

すでに、ほとんど下腹部のあたりまで冷たくなっていましたが、
覆いを取って -というのは、顔が覆われていたからですが- あの方はこう言いました。
これがあの方の最後の言葉でした。
-クリトン、われわれはアスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。それを返しておいてくれ。忘れないように。

うん、きっとそうするよ、とクリトンは言いました。しかし、君、他に何か言うことはないか。

クリトンがそうたずねたとき、あの方はもう何も答えませんでした。
少ししてからピクリと動き、あの男が覆いを取ると、あの方の目はじっと据わっていました。
それを見て、クリトンが、あの方の口と目を閉じたのです。

これが、エケクラテス、わたしたちの友人の最期でした。
わたしたちが知りえたかぎりにおいて、当代随一ともいうべき人の、
とりわけ、知恵と正義において、もっともすぐれた人の、最期でした。」
by matsuura2005 | 2004-02-18 17:02
哲学講義17 - プラトン(5) 善のイデア・太陽の比喩 -
前回は、プラトンのイデア論についてごく大まかに紹介をしました。今回は、プラトンのイデア論の中でも中核をなす善のイデアについてお話します。


まず、『国家』の中で、善のイデアについて語られている「太陽の比喩」を紹介し、
その後で、善のイデアについての一つの解釈を紹介し、
それを踏まえた上で、私の考えを述べる、ということにします。

(1)太陽の比喩
プラトンが善のイデアについて語るとき、太陽に譬えています(『国家』(第六巻 507a-509b))。

一方で、多くの美しいものがあり、多くの善いものがある。他方で、そうした多くのものどもに対して、各々一つずつ、その実相(イデア)がある。たとえば、多くの美しいものに対しては、美のイデアがただ一つだけあり、多くの善いものに対しては、善のイデアがただ一つだけある。多くの善いものは、肉眼で見ることができるけれども、善のイデアは、思惟されるのみであって、肉眼で見られることはない。

ところで、たとえば聴覚の場合には、聴かれるものと聴くものがあれば、音を聴くことができる。しかし、視覚の場合には、見られるもの(対象)と見るもの(主体)があるだけでは見ることはできず、
見るという働きが成立するためには、光という第三のものが必要である。

天空の神々(天体)のうちで、太陽が、
われわれの視覚を最もよく見えるようにし、見られるものを最もよく見られるようにする。視覚そのものも、目も、そのままただちに太陽であるというわけではないが、
感覚器官のうちでは、最も太陽に似たものである。
また、目は自分の機能を、太陽から注ぎ込まれるようにしてまかなわれながら、所有している。
太陽の方もまた、そのままただちに視覚であるわけではないが、
視覚の原因となるものであり、視覚によって見られるものである。

思惟の世界において、善が「知るもの」(nous)と「知られるもの」(nooumena)に対して持つ関係は、
見られる世界において、太陽が「見るもの」(opsis)と「見られるもの」(horomena)に対して持つ関係と同じである。

目は、夜の薄明かりに蔽われている事物を見る時には、
ぼんやりとしか見ることができず、視力を持っていないように見える。
しかし、目が、太陽の光に照らされている事物を見る時には、
はっきりと見ることができ、視力を持っていることが明らかになる。

これと同様に、魂が、 生成消滅するものへと向けられるときには、
魂は思惑するばかりで、ぼんやりとしかわからず、知性を持っていないのと同じである。
しかし、魂が、「真」と「存在」が照らしているものへと向けられるときには、
それを認識し、その魂は知性を持っているように思われる。

このように、
認識するものには認識機能を提供し、認識されるものには真理性を提供するものが、善のイデアである。
たしかに善のイデアは認識されるものと考えなければならず、認識も真理もとても美しいものではあるけれども、
善のイデアは、知識と真理の原因(根拠)であって、これら両者とは別ものであり、これらよりさらに美しいものである。

また、視覚と光を太陽に似たものとみなすのは正しいけれども、
それがそのまま太陽であると考えるのは正しくなかったのと同様、
知識と真理を善に似たものとみなすのは正しいけれども、
それがそのまま善であると考えるのは正しくなく、
善のあり方(hexis)はもっと貴重なものである。

太陽によって、見られる事物にただ見られるはたらきが与えられるだけでなく、生成と成長と養育も与えられる。
ただし、太陽そのものが生成であるわけではない。
同様にまた、善によって、認識されるものにただ認識されることが備わる(pareinai)だけでなく、
あるということ・その存在(to einai te kai ten ousian)もまた、
善によって、それら認識されるものに付け加わる(proseinai)。
ただし、善は存在(と同じもの)であるというわけではなく、
位においても力においても、その存在の彼方に超越してある(epekeina tes ousias ...hyperechontos)。


以上が、いわゆる「太陽の比喩」です。
見るものと見られるものと太陽という三項関係が、知るものと知られるものと善という三項関係と類比的である。
知るもの(理性(nous))は、善によって、認識(グノーシス)を与えられ、
知られるもの(理性によって捉えられるもの)は、善によって、真理性(アレーテイア)を与えられる。
知られるものは、善によって、ただ、知られることが与えられるだけでなく、
そうした知られるものが「あるということ」・「その存在」をも加えて与えられる。
善によって存在が付与され、善と存在とは同じではなく、善は存在の彼方に超越してある。
という仕方でまとめることができるでしょうか。
これはつまり、「理性」と「理性によって捉えられるもの」があるだけでは、
理性が知るものになることはなく、理性によって把握されるものが知られることはない、
善によって、はじめて、理性は理性を働かせるものとなり、存在するものは存在するものとなる、
その意味で、「善はイデア的対象を理性によって把握させる根拠であり、理性を理性として働かせる根拠である」
と理解できます(加藤信朗、『ギリシア哲学史』、154頁を参照)。

この「太陽の比喩」において最も問題になるのは、やはり、何と言っても、
「善は存在の彼方に超越してある」という、善のイデアの超越(hyperechein, hyperbole)の問題でしょう。
善のイデアの超越を、
プラトンの死後何百年も後に現れた新プラトン主義者プロチノスやプロクロスの「善一者」の思想との関連で
考える方向もあります(プロクロスの善一者の思想については、
岡崎文明『プロクロスとトマス・アクィナスにおける善と存在者』、晃洋書房、p.105以下に紹介されています)。
しかし、確かに新プラトン主義者たち自身は自らの思想をプラトンの思想と考えていたかもしれないけれども、
実際にはそれはプラトン自身の思想とは異なり(R.T. Wallis, Neoplatonism, Hackett, 1995 (org. 1972))、
スペウシッポスやクセノクラテス(古アカデメイア派)等、プラトンの後継者たちがプラトンの思想を変容させた
と言われています (John Dillon, The Middle Platonists 80B.C. to A.D. 220, Cornell U.P.,1977, 1996)。
したがって、プラトンの「善のイデア」と新プラトン主義者たちの「善一者」とを直接関連づけることには
慎重でなければなりません。
そこで、ここでは、善のイデアに関して、新プラトン主義の思想に立ち入ることは避け、
むしろ、岩田靖夫氏が興味深い考えを述べているので、それを見ることにします。

(2)善のイデアの超越についての解釈
岩田靖夫氏は、レヴィナスとの関連で、プラトンの善のイデアの超越について、
自己実現とエゴイズムという視点から、次のように述べています。
そこでは、太陽の比喩における「存在」は、「自己保存と自己主張と自己拡張」という「エゴイズム」・「自己実現」の世界、
「善のイデア」は「自己犠牲」の世界として述べられています。

「そこで、僕の話の結論はどういうことか、というとね、こういうことなの。
生きるとはなにか。自己実現というエゴイズムの運動をしなければ人間は生きられない。
だから皆、力をつけて強くなろうとする。少しでも他人の先に出て、生存競争に遅れを取らないようにする。
そして頑張る。しかし、生存競争に勝つということだけではね、人間はただの動物なんだよ。
強いものが弱いものを食べて生きているというのは、これは動物の世界の法則だからね。
 人間らしい生き方とは、この動物の法則を否定して、ある意味ではそれとは逆の生き方を始める点にある。
それは、ある意味ではね、存在するということを否定するような運動をするということなの。それが自己犠牲。
ずっと昔、古代ギリシアにプラトンという偉い哲学者がいてね。
そのプラトンは、万物の究極根拠を「善」と言ったのだが、その「善は存在のかなただ」とも言っているの。
この思想は、現代でまた生き返って、ユダヤ人のエマニュエル・レヴィナスという哲学者が受けついでいる。
どうして「存在のかなた」かというと、
自己保存と自己主張と自己拡張というものがひしめき合っている世界が存在の世界だが、
その中に、存在よりもっと上等なもの、すなわち、善を導入するために人間は生まれたのだ、
とレヴィナスは言うからです。」
(岩田靖夫、「生きる」、『仙台白百合女子大学 カトリック研究所論集』第八号、二〇〇四年三月、111頁〜112頁)

この解釈によれば、「善が存在を超越している」とは、つまり、
「自己犠牲や善意は、自己保存という動物的な存在の仕方を超えたところに成立しているということ」
を意味しているわけです。

先日行われた「デモクラシーと幸福 -自己実現と自己奉献 幸福の二つの次元-」という講演の中では、
自己実現はギリシア起源の思想(アレテーの思想)、
自己奉献(自己犠牲)はヘブライ起源の思想(善意の思想)として区別され、
ギリシア起源の幸福論からヘブライ起源の幸福論へと「コペルニクス的転回」を遂げなければならない、
と語られていましたが、上掲論文の中では、自己犠牲はプラトンというギリシア哲学者に起源を持っていることになり、
岩田氏自身、必ずしも、首尾一貫した議論を行っているようには見えません。
(もっとも、これは岩田氏一流の「レトリック」かもしれませんし、
プラトンの善のイデアはギリシア的というよりはむしろヘブライ的であるという示唆なのかもしれませんので、
あまりこのギャップについて詮索してもはじまらないことなのかもしれません。)
また、岩田氏は、上掲論文の中では、引用箇所以外にプラトンの善のイデアには言及していませんので、
プラトン解釈として、具体的にどういうことを考えているのか、必ずしも明確ではありません。
したがって、以下では、一応、上述の岩田解釈を念頭に置いた上で、私自身が考えてみることにします。
つまり、以下では、岩田流の「善意の思想」からは少し離れて考えてみるということです。

たとえば、ソクラテスが、クリトンの説得を拒絶して、牢獄から脱獄せずに、牢獄の中に留まっていたということが、
『クリトン』に見られます。この例に基づいて考えて見ます。
ソクラテスが牢獄に留まっていたのは、「法に従って振舞うことが善い」とソクラテスが(常日頃から)考えていたからであり、
もしソクラテスが、クリトンのような世人と同様、「脱獄することが善い」と考えていたとすれば、
ソクラテスは牢獄の中に留まってはいなかったはずです。

これは、牢獄の中に座っているという、ソクラテスの「あり方」を決めているのは、「善」であるということです。
その意味で、善は「存在(あり方)」を規定し、「存在」を超えている。
人の「あり方」という「存在」を規定する根拠になっているのが「善」であるということです。

ただし、その「善」は、「(世人に)善いと思われていること」とは独立的に、
ロゴス(理性)によって熟考した結果、善いと判断されたことです。
その意味では、それは、「理性に従った善」ということになりそうですが、必ずしもそうとは言えないのです。
なぜかといえば、理性が理性として働く場面というのは、既に善のイデアに根拠付けられた場面だからです。
「理性」という言葉のうちに、既に善のイデアの存立が含意されている、と言い換えてもいいでしょう。
つまり、もしその”理性”なるものが善のイデアに根拠付けられていなかったとすれば、それは既に理性ではなく、
単なる「悪知恵」である可能性があるということです。
善のイデアではなくて、世人に善いと思われている事柄(身体的快楽や金銭、自己保存等)に導かれた思考・計算もまた、
ある意味では理性的と呼ぶこともでき、クリトン流の思考はこの種の(偽)理性的思考に基づいています。
しかし、ソクラテス・プラトン流の「理性」(nous)は、
身体的快楽や自己保存等、自己の付属物に導かれた状態にあるものではなく、
むしろ、そうした自己の付属物から離れ、「魂が魂だけになった」状態にあるものです。
この状態にあるとき、その魂の目に見えるものは、プラトンに言わせれば「イデア」に他ならず、
とすれば、先述のように、世人に善いと思われることではなくて、
ロゴスによって熟考した結果善いと判断された「あり方」(法に従って振舞うというあり方(生き方))は、
イデア的対象に他ならない。
自己保存や身体的快楽とは独立的に、法に従って振舞うというあり方は、
魂の目が自己の付属物から離れた場面で「見られたあり方」であるという意味で、イデア的対象であるように思われます。
なぜ、「あり方」が「生き方」になるのかといえば、人間にとって、存在するとは生きることだからです。
また、なぜソクラテスがそのあり方を選んだのかと言えば、そのあり方が「善いから」であり、
この「善いから」の「から」という部分に、「善」が「あり方」を規定する「存在の根拠」であることが現れているのです。
また、この種の善は、魂が魂だけになった場面で働く善なので、
それは自己保存のために善いといった種類の善とは異なり、
善のイデアと考えることができます(善のイデアをこんなに簡単に規定してしまってよいものかどうかは、さておき)。

さて、もしそうだとすると、先述の岩田氏の解釈と私の解釈との最も大きな違いは、
「善は存在を超越する」というときの、「存在」の意味内容であることになります。
岩田解釈によれば、この「存在」は、自己保存的思考がはたらく場面での「あり方(生き方)」であるのに対して、
私の解釈によれば、件の「存在」は、魂が、自己保存等、自己の付属物から離れ、
魂だけになった場面で現れる「あり方(生き方)」のことです。
つまり、岩田解釈では、「存在」はイデア的対象ではないのに対して、
私の解釈では、「存在」はイデア的対象であるという点で、両解釈は異なる、ということです。

私の見るところでは、
イデアが感覚的事物から「離れてある」(離在している)と言えるとすれば、
それは、魂が魂の付属物から離れた状態にあるということと連動する事態であり、
そのように魂が自己の付属物から離れた状態で、魂だけになって見るものが、イデアであるように思えるのです。
善そのもの、大そのもの、美そのもの、と言われる「そのもの」(auto)とか、
大それ自体等における「自体」(kath ' hauto)とは、
魂の付属物との関連抜きに、という意味(別のものとの関連(pros allo)なしに、という意味)であるように思えます。
その意味で、そうしたイデアの存在は、感覚的世界から”離在”し、感覚的事物から”超越している”。
そして、そのように魂の付属物から自らを引き離すことが、口で言うほど容易なことではないという意味で、
われわれがイデアを見るのは難しいのでしょう。
たとえあるときにはそれを見たとしても、すぐにわれわれは自己保身等、魂の付属物に引きずられてしまうから。
そのように把握・到達困難で感覚的事物から離れてあるイデアの存在を、さらに根拠付けるのが善のイデアであるとすれば、
善のイデアの超越性は、一般の諸イデアが感覚的事物から離在するという意味での超越性とは別種の超越性なのでしょう。
岩田氏の解釈は、この善のイデアの超越性と一般の諸イデアの超越性とを混同するものであるように私には思えます。
したがって、私は、レヴィナス解釈ではなくてプラトン解釈としては、
魂が魂だけになった場面で現れる「あり方(生き方)」を根拠付けるのが「善のイデア」であると考え、
その意味で「善は存在を超越している」と考えるのが妥当ではないかと思います。

もっとも、岩田氏自身、プラトンの思想をレヴィナスが「受け継いでいる」と言っているだけであって、
それをプラトン解釈として提示しようというつもりはないのかもしれませんが・・・。
by matsuura2005 | 2004-02-17 16:59
哲学講義16 - プラトン (4) イデア論序説-
プラトンのイデア論を理解することは、プラトン哲学の理解にとって、中心的課題です。にも関わらず、プラトンのイデアがどういうものかを言葉で直接的に語り、明確に規定することは、困難です。その理由は以下の通りです。

プラトンは、イデアやイデア界について説明する際、しばしば「比喩」や「ミュートス」
(神話)を用います。(たとえば、太陽の比喩や洞窟の比喩、エルの神話、宇宙創造の神話等)。プラトンが比喩やミュートスを用いる場合には、自分の言いたいことを直接語ることはできないためにそれを「たとえ話」として語るわけですから、 イデアについて言葉で直接的に語ることは、困難であると思えるのです。また、プラトン自身、「書かれた言葉」にどれだけの信頼をおいていたのか、微妙なところもあります。

前回紹介した『第七書簡』だけでなく、『パイドロス』という対話篇の末でも、同様のことが語られます。 言葉には、「書かれた言葉」と「魂の中に書き込まれる言葉」があって、後者は、語るべき人には語り、語るべきでない人には語らずに黙っているということができるが、 前者のように、著作の中で書かれた言葉には、そういうことができない。著作の中に書かれた言葉は、たとえそれが誤解されても自らを弁護することができない。

こうしたことをプラトンが念頭において対話篇を書いていること考えれば、プラトン自身が、自分のもっとも大切にしていたであろう「イデア」について、それを対話篇の中で直接的に語ったということは、考えにくい。むしろ、直接的には語ろうとせず、それをたとえ話として語り、
それをどう受け止めるかを読者に委ねたと考えるのが自然だと思います。その意味で、プラトンのイデア論について、それを対話篇の中で語られる言葉をもとに厳密に再構成したり規定したりすることは、困難なことであると思えるのです。

ただ、そうはいっても、いろいろな仕方で、プラトンのイデアについて説明することは可能であり、 実際、これまで、プラトン自身の書いた比喩等を含めて、無数の人々によってイデアについて語られてきました。 プラトンの書いた個々の比喩や神話については、これから追々紹介することにし、ここではイデア論について理解する一助となり、また、ある意味では前提にもなるであろうと思われる、 プラトンの諸対話篇の区分を一瞥することから始めることにします。

プラトンのさまざまな対話篇は、初期・中期・後期に分けて考えるのが研究者の間では通例となっています。 初期対話篇群は、一般にソクラテス的対話篇とも言われるように、ソクラテスの刑死後まもなく、 プラトンがまだ三十代の頃、ソクラテスの行っていた対話問答をプラトンなりに再構成し、ソクラテスの姿を確認するために書かれたと言われています。短編作品が多く、『ソクラテスの弁明』、『クリトン』、『ラケス』、『エウテュプロン』、『カルミデス』、『プロタゴラス』、『ゴルギアス』などが挙げられます。

中期対話篇群は、プラトンが一回目のシケリア旅行からアテナイに戻って、アカデメイアを設立した四十代から五十代にかけて書かれたと見られる作品群で、この時期に、プラトンはイデア論を初めて明確に提示しました。作品としては、『メノン』、『饗宴』、『パイドン』、『国家』、『パイドロス』、『クラテュロス』などが挙げられます。

後期対話篇群は、アリストテレスがアカデメイアに入学してきた時期以降、つまり、プラトン六十代以降に書かれたと考えられる対話篇群であり、作品としては、『パルメニデス』、『テアイテトス』、『ソフィステース』、『ポリティコス』、『ティマイオス』、『クリティアス』、『ピレボス』、『法律』があります。(以上、各時期への諸対話篇の割り当ては、基本的にコーンフォードに従っています)。

以上の区分のうち、初期と中期を区別する一つの基準は、次のことにあります。プラトンのイデアは、恒常不変性、単相性、単一性、自体性、思惟のみの対象であるといった性格(後述) を持つものですが、こうした性格は、初期対話篇ではまだ明確な形で姿を現しておらず、 それが明言されるのが中期なのです。

・恒常不変性
多くの美しい感覚的事物は醜いものに成りうるが、
美のイデアは、いつも美であり、それが醜になることはない。

・単相性
美のイデアは美という同一のあり方をするのみだが、美のイデアを分有するものは、同時にまた大を分有したりしうる以上、美にして大なるもの、という仕方で、二つ以上のあり方をすることができる。この意味で、イデアを分有するものは多相性をもち、他方、イデアは単相性を持つということができます。(ただし、ここにはイデア相互が分有関係にある場合にどうなるのかという、後期的な問題が含まれていますが、この点にはここでは立ち入りません。)

・単一性
美のイデアは一つだけであり、二つの美のイデアがあることはない。これに対して、美を分有する多くの美しいものどもは、二つ以上あるのが普通である。

・自体性
美のイデアは、自分自身によって美しいが、美のイデアを分有する多くのものどもは、自分だけでは美しくあることができず、美のイデアを分有することによって初めて美しくあることができる。

・思惟の対象
多くの美しいものどもは、身体的な感覚の対象でありうるのに対して、美のイデアは、身体的感覚の対象ではありえず、思惟の対象でしかありえない。イデアとは「心眼によって見られたもの」の謂いである。

こうした性格が明確に語られるのは、『饗宴』、『パイドン』など、中期対話篇になってからなのです。

次に、中期と後期との区別について説明しますと、この区別がどのような意味を持つかについては、 まだ研究者の間で意見が一致していません。

ある人は、特にアリストテレス入学後のアカデメイアの中で中期イデア論について活発な議論が行われるなか、 プラトンは、『パルメニデス』の中で、中期で提示したイデア論が根本的に誤っていたことを認め、 以降、イデア論を放棄した、という路線で考えます。

ある人は、プラトンは後期にイデア論を放棄したわけではなく、イデア論に基づく世界観は保持している。 ただし、後期に入って、中期には未整備だった論理的基礎付けを行い始め、その意味では、イデア論に若干の修正が加えられた、という方向で考えます。

また、ある人は、プラトンが『パルメニデス』で行っているのは、中期で提示したイデア論について、アカデメイアの中で広まった無理解・誤解を批判することであり、 プラトン自身は中期から後期にかけて、特にイデア論に変更を加えてはいない、という路線で考えます。

中期と後期の区分に関する以上の三つの立場について、ここで詳しく検討する余裕はありませんので、 一応、私の考えだけ述べておきます。私は、既にこの講義の中で何度も述べていますように、プラトンの諸対話篇に現れるアポリアについて、 それを「試し」(ペイラ)と見るという立場をとっていますので、『パルメニデス』・『テアイテトス』・『ソフィステース』にあらわれるアポリアは、基本的には読者を試すためのものであると考えます。したがって、『パルメニデス』においても『テアイテトス』以降でも、プラトン自身は、自分のイデア論を放棄してはいないと考えます。プラトンは、少なくとも、中期以降、或る程度一貫したイデア論を念頭におきながら、それをさまざまな角度から表現し、言い換え、言い直すというという試みを繰り返したのだと考えます。 あるいは、霊魂不滅等、各々の対話篇でメインテーマとなっている事柄を述べるのに十分なだけの厳密さを以ってイデアについて記述し、 別の話題がテーマとなった時には、それを述べるのに十分なだけの厳密さを以ってイデアについて記述する、という仕方で、当面の問題を扱うのに応じて、イデアについての記述の仕方が変わり、その意味で、記述の上で或る種の「ブレ」が生じるけれども、それを以って中期で提示したイデア論は「根本的に間違っていた」とプラトンが考えるようになったとか、 プラトンは『パルメニデス』以降、中期イデア論に「大幅な修正を加えた」という方向には、私は考えません。イデアについての記述の違いは、扱う話題の違いに応じた違いでしかないように私には思えます。

さて、その「イデア」について、もう少し詳しく見ていきましょう。「イデア」というギリシア語の原意は「見られたもの」であり、プラトンの場合には、それは既に述べたように、「心眼で見られたもの」という意味です(「イデア」は英語の「アイデア」の語源です)。この「心眼で見られたもの」とは何でしょうか。これを大まかにではあれ理解するために、ここでは、ギリシア哲学の特徴を説明する際に言及した次のことを思い出してみましょう。「多様なものを貫いている一つの普遍的原理を見出す」ということです。

この点について重要なのは、中期末を飾るといわれる傑作の一つ『パイドロス』や、後期対話篇群に属する『ソフィステース』の前半部などに典型的に現れる「ディアレクティケー」という真理探究法です。この方法は、いわゆる「分割と総合の方法」という形をとるわけですが、
そのうち、総合の方法は、次のように定式化されていると考えて構わないでしょう。

「一つずつ別々に横たわる多くのものどもを貫いて、
一つのイデアがあらゆる仕方で伸び広がっていることを(充分に)感知する」
(Soph. 253d)。

たとえば、多くの技術者たちを見渡して、その中に製作という特徴を持った技術者集団(製作術者)がいることに気がつくとき、その人は、個々の技術者という「一つずつ別々に横たわる多くのものども」を貫いている、製作という「一つのイデア」を見出したということになります。

これを、たとえば、多くの図形を見渡して、その中に「三角」という特徴を持つ図形集団(三角形)を見出した、 と言い換えれば、三角(形)のイデアを想起したということになるでしょうし、
多くの人々を見渡して、その中に「美」という特徴を持つ人々(美男美女)を見出した、と言い換えれば、 美のイデアを想起した、ということになるでしょう。

その意味では、総合の過程において、一種のイデア想起が起こっていると考えて構いません。 (想起説については、いずれ機を改めて述べます)。

ただし、以上の説明は、製作、三角、美、といった各々のイデアをまったく同列に扱うことができるという意味で述べているわけではなく、 多くの事物の中に、それらの事物をそれらの事物たらしめ、その根拠づけとなるような、一つの普遍的な特徴を見出すというはたらきが、「総合の方法」という形でプラトンの対話篇の中に典型的に見出されるということを述べている点には注意が必要です。というのは、ここではあまりくわしく立ち入りませんが、プラトンの諸イデアの間には、「製作」や「獲得」など、一般的な特徴を表す諸イデアと、そうした一般的特徴の把握の根拠となると見られる、「ある」、「異」、「同」、「静」、「動」といった、いわゆる「最大の五類」(メギスタ・ゲネー)、 あるいは、「ある」を超越しているとされる「善のイデア」など、諸イデア間にある種の「階層構造」(ヒエラルキー)があり、すべてのイデアを同列に扱うことはできないという事情があるからです。しかし、この点については、ここではこれ以上立ち入らないこととし、
今は、上述の説明にとどめます。

ところで、以上の「総合の方法」による説明は、どちらかと言うと、われわれ人間がイデアを認識する場面での説明、主としてイデア認識という角度から見た説明でした。これを宇宙創造、宇宙の諸事物の「生成の原因・根拠」としてのイデアという視点から見ると、『ティマイオス』に出てくる「デーミウールゴス」(職人)が、イデアを「モデル」にしてこの世界を作ったという、 いわゆる「範型イデア」の話になります。

『ティマイオス』(28a-29a)では、およそ次のような話が語られています。
「常にあるもの、生成ということをしないもの」と、「常に生成していて、あるということの決してないもの」という区別がある。前者は、「常に同一を保つもの」であり、「理性の働きによって、言論とともに把握されるもの」であり、 後者は、「生成消滅していて、真にあるということの決してないもの」であり、「思惑によって、言論を欠いた感覚とともに思いなされるもの」である。「生成するものはすべて、何か原因となるものによって生成するのでなければならない。というのは、どんなものでも、原因となるものなしに生成することはできないからである」。宇宙の製作者が善きものであるとすれば、常に同一を保つものをモデルにしてこの宇宙を作ったはずであり、 他方、宇宙の製作者が悪しきものであるとすれば、常に生成消滅しているものをモデルにしてこの宇宙を作ったはずである。 だが、この宇宙は立派なものであり、その製作者はすぐれた善きものであることは明らかである。したがって、宇宙の製作者は、「同一を保ち、恒常のありかたをするもの」をモデルにして、これに倣って宇宙を創造した。

ここで言われる「同一を保ち、恒常のあり方をするもの」がイデアであり、これは宇宙創造の「モデル」となったものという意味で、「範型イデア」(パラデイグマとしてのイデア)と呼ばれます。
(ちなみに、「パラデイグマ」というギリシア語は、現代科学哲学で使われる「パラダイム」という英語の語源です)。また、ここで宇宙の製作者と言われているのがいわゆる「デーミウールゴス」(職人の謂い)であり、このデーミウールゴスがイデアをモデルにしてこの宇宙を作ったので、この世界に生成した事物はイデアの「似像」(エイコーン)であるとも言われます。(ちなみに、「エイコーン」というギリシア語は、キリスト教では「イコン」(偶像・聖像)の意で用いられます。また、パソコン画面上の「アイコン」の語源もギリシア語の「エイコーン」です)。

以上のほかにも、感覚的事物はイデアを分有することによってその事物である(たとえば、多くの美しい事物は、美のイデアを分有することによって、美しい)という、 感覚的事物のイデアに対する「分有」(メテクシス、メテケイン)の関係や、イデアが感覚的事物に「臨在する」という、イデアの感覚的事物に対する「臨在」(パルーシア)、さらには、イデアと感覚的事物との関係ではなくて、イデアとイデアとの間に成り立つ分有関係、また、そもそもプラトンがなぜこうしたイデア論を立てたのかという、イデア論構築の意図など、プラトンのイデア論を説明するために必須の事項がまだまだいろいろがあります。これらについては、追々触れることにして、今回はここまでとします。


参考文献
加藤信朗、『ギリシア哲学史』、東京大学出版会
荻野弘之、『哲学の饗宴』、NHK出版
by matsuura2005 | 2004-02-16 16:59
哲学講義15 - プラトン(3) プラトンの生涯 -
今回は、プラトンの生涯についていくつか述べることにしますが、
そのために、まずソクラテスの生まれと生活を瞥見することから始めることにします。

ソクラテスは、紀元前469年1月、
アテネから徒歩30分のリュカベットスの丘にある市外行政区アロペケで生まれた。
ソクラテスの家族は中産市民階級のゼウギタイに属していた。
父親のソーフロニスコスは彫刻家もしくは郊外の石屋をしており、
母親のパイナレテーは産婆をしていた。
中産市民階級に生まれたソクラテスは、ごく普通の学校教育を受けたと考えられる。
50歳頃、クサンティッペと結婚し、ランプロクレスという長男をもうけた。
ソクラテスにはもう一人妻がおり、ミュルトーといった。
ミュルトーとの間には二人の息子ソーフロニスコスとメネクセノスをもうけた。
結局、三人の子供をソクラテスは持ったことになる。
おそらくは後世の作り話であろうが、
クサンティッペとソクラテスの関係については、次のような話が伝わっている。
クサンティッペの気性も手伝って、夫婦喧嘩が絶えず、
ソクラテスはクサンティッペにバケツ一杯の水を浴びせられたこともある。
それは、ソクラテスが外では青年を相手によく喋るのに、
家の中ではクサンティッペとほとんど話しをしなかったからだ、とも言われている。

このように、ソクラテスは、ごく普通の庶民の生活を営んだ人と考えられますが、
これに対して、プラトンは貴族の家系に生まれ、かなり特殊な環境で生きた人と言うことができます。プラトン(本名アリストクレス。プラトンはあだ名)は、
父アリストンと母ペリクティオネの息子として、紀元前428/7年頃生まれたと考えられている
(ペリクレスの死後一年以上後、ゴルギアスが最初にアテネを訪れる直前)。
父方の家系には、アテナイ最後の王コドロスがおり、これはポセイドン神から出ていると考えられていた。
母方の家系には、七賢人の一人ソロンの兄弟ドロピデスがおり、これがプラトンの曽祖父であった。
母の従兄弟にクリティアス、弟にカルミデスという人物がおり、
彼等は、ペロポネソス戦争(BC431-404)後に樹立された三十人政権(BC404-403)の構成員となった。
ペリクティオネはグラウコン(I)を父とし、
アリストンとの間に、アデイマントス、グラウコン(II)、プラトン(アリストクレス)の三人の息子をもうけたが、
アリストンが亡くなったため、ペリクレスと親密な関係にあったピュリランペスと再婚し、
アンティフォンという息子をもうけた。

こういうたとえがどこまで適切かわかりませんが、
プラトンは、23歳頃、自分の叔父(カルミデス)が政府の閣僚になり、国政を動かすことになったわけで、
その意味で、現代アメリカでいえばケネディー一家のような家系に生まれ育ったということになるでしょう。
こうした上流階級に生まれたプラトンが、
自ら政治家になって社会を導いていこうと考えたのは、ごく自然なことでした。
しかし、プラトンは、結局、政治家になることを断念し、哲学の道を選ぶことになりました。
それはなぜかといえば、大きく言えば、二つの理由があります。

一つは、上掲のクリティアスやカルミデスが参加した三十人政権の挫折です。
アテネを盟主とするデロス同盟とスパルタを盟主とするペロポネソス同盟との間で勃発した
ペロポネソス戦争が進むにつれ、特にペリクレス失脚・病没後のアテネ民主制は道徳的に腐敗し、
デマゴーグ(煽動政治家)が政治を支配する衆愚政治に堕していました。
この時期、民主派と内部抗争を繰り広げていた寡頭派は、
ペロポネソス戦争終結を機に、スパルタの力を借り、
民主派をおさえて三十人政権を樹立することに成功しました。
この政権は、「籤(くじ)で選ばれた無知な大衆が政治を行うべきではなく、少数の知者が行うべきである」、という
寡頭政治(オリガルキアー)(クリティアス本人によれば、貴族政治(アリストクラティアー))の理念に
基づいていたのはよかったのですが、
多くの人々を処刑するなど、単なる恐怖政治に傾いていきました。
特に、サラミス島へ避難していた民主派のレオンを死刑にするために強制連行する際、
他の人々と一緒に正義の人ソクラテスを差し向けようとしたことは、
プラトンにとって「憤懣やるかたなく、当時の悪風から身を引く」(『第七書簡』325a)
のに十分な理由となりました。
結局、このような恐怖政治が長続きするはずもなく、8ヶ月で民主派によって軍事的に転覆され、
政権を主導したクリティアスやカルミデスは、前403年、ペイライエウス港付近にあるムニキアの丘で
非業の死を遂げることになりました。
自分の親戚が主導した政権、しかも、その理念にはプラトン自身共鳴していた政権が、
このような形で挫折するのを見て、プラトンは、政治の道へ進むのをためらわざるをえなかった。

プラトンが政界へ進むのをやめたもう一つの理由は、
上述の経緯によって回復した民主制の下で、ソクラテスが死刑にされたことです。
つまり、先にも述べたように、三十人政権の治世下で、
民主派のレオンを強制連行するようにという命令をきっぱりと拒絶し、
いわば民主派の味方をしたソクラテスを、民主派自身が、不敬罪等ソクラテスに似つかわしくない罪状で告発し、
これを死刑にしてしまった。

このように、現実の国政のいずれもが悪政となっているのを目の当たりにして、プラトンは、
「正しくしかも真実に哲学している種族の人々が政権につくか、
諸々の国家の中で権力を持っている種族の人々が、
何か神的な運命から真実に哲学するようになるかするまでは、
人類が諸悪からまぬかれることはないだろう」(『第七書簡』326a-b)
と考え、現実の政治の世界に進むのをやめて、哲学の世界に入ることになったのです。

哲学の世界に入るに際して、
理想国家の建設を夢見てか、学園アカデメイア(後述)を開くための資金調達のためにか、
なんらかの思惑をもって、プラトンは、
南イタリアのシケリア島(現在のシシリー島)にあるシュラクサイを訪れました(前388年 第一回シケリア旅行)。
当時のシュラクサイはディオニュシオス一世の治世で、僭主政治をしいており、
その凡庸さにプラトンは幻滅したのですが、ディオニュシオスの義弟ディオンは、
プラトンがそれまで出合った青年の中で最もすぐれた資質を持っていると思えた。

シケリアから帰ったプラトンは、前387年(40歳)頃、
アテナイ北西の郊外にあるアカデモスの森に学園を開きました。
これがアカデメイアと呼ばれる学園であり、
数学・幾何学・音楽などを中心にした哲学教育が、ここで共同生活に基づいて行われはじめました。
以来、紀元後529年に東ローマ皇帝ユスティニアヌスの異教思想教授禁止令によって学園が閉鎖されるまで、
約900年にわたって続き、その間、古代地中海世界の学問に大きな影響を与えました。
この「アカデメイア」という名前は、今日、「アカデミー」、「アカデミック」という形で受け継がれています。

プラトンとディオンとの親交はその後、前353年にディオンが死ぬまで続きました。
プラトンは、前367年、ディオニュシオス二世が即位した頃、
また、前361年には、哲学に熱心になってきたというディオニュシオス二世の要請を受けて、
シケリアへ向かっています。合計三回シケリアへ行ったことになります。

ところで、この第三回目のシケリア旅行の折にプラトンがどのように考えていたのかを見ることは、
プラトン哲学のおそらくは核心部に触れることになると思えるので、ここで少しそれを見ておきましょう。

「わたしは到着すると、まずこのことを第一に吟味しなければならぬと思いました。
つまり、ディオニュシオスは、本当に哲学によって、いわば火をつけられているのか・・・
こうしたことについて試験する(peiran lambanein)方法が一つあります。・・・
生半可な知識(parakousmaton)で頭の中が一杯になっている人々にふさわしい方法です。
・・・そもそもの課題が全体として何であり、・・・どれだけの労苦が伴うものなのかを示すこと」です。
「それを聞いた人は、もしその人が本当に哲学者である場合には、・・・驚くべき学びの道を教わったと思う」。
「他方、本当は哲学者ではない人たちは、・・・自分にはできない」と考え、
「全部充分に聞いたのだと自分で自分を説き伏せて、
もはや何一つの作業も求めなく」なる(『第七書簡』(340b-341a))。

ディオニュシオスは、まさにこの後者の典型であり、
多くの事柄について既に自分はもう充分に学び、わかっていると考えていました。
そして、それだけでなく、プラトンから聞きかじったことについて書物を著したといいます。
この点について、プラトンはこう述べています。

「私が真剣になっている事柄について、・・・知っていると称するかぎりの、
すでに書物を書いたか、これから書こうとしているすべての人たちに向かって、
確かにこれだけのことは言えます。
これらの人たちは、・・・その事柄について(peri tou pragmatos)、何もわかっていない。
実際、少なくとも私の書物は、それらの事柄については、存在しないし、生じることも決してない。
というのは、それは、ほかの学問のようには、言葉で語りうるものでは決してなく、むしろ、
その事柄そのものについて数多くの対話(synousias)を重ね、 共に生活することから、
突如として、あたかも飛び火によって点ぜられた光のように、魂のうちに生じるものであり、
以後は、生じたものそれ自身がそれ自身を養い育ててゆくからです。」(『第七書簡』(341c-342a))

プラトンのこの発言、特に、「私の書物は、それらの事柄については、存在しない」、
「言葉で語りうるものではない」というくだりには、注意を払う必要があるでしょう。
プラトン自身が真剣になっている事柄は、対話篇の中には書かれていないということになるからです。
この発言をどう受け止めるべきか、解釈の分かれるところですが、私としては、どちらかというと、
文字通り、「言葉では語りえないもの」にプラトン自身は真剣になっていたと考えることにします。

実際、前回述べたように、
プラトンの対話篇の多くがアポリアに終わっていることを「試し」(ペイラ)と解する場合でも、
それは、おそらく、言葉では語りえないものを把握するためのハードルの一つにすぎないのでしょう。
そのハードルを越えたからといって、
それでプラトンが真剣になっていたものが何であるかがわかったということにはならない。
もしプラトンの哲学の内容を充分に理解しようとするなら、プラトン自身が述べているように、
共同生活をしながら、その事柄について何度も話合うことが必要になるのでしょう。

こうしてプラトンは、先に触れたアカデメイアという学園で、独自の哲学教育を行い、
プラトン流の仕方で、理想国家の建設を試みたのかもしれません。
おそらくは、その一環としてさまざまな対話篇を書いたのでしょう。
最後は、『法律』という未完の対話篇を書きながら、静かに息をひきとったそうです(BC347年)。


参考文献
荻野弘之『哲学の饗宴』(NHK出版)
納富信留『プラトン』(NHK出版)
R.S.ブラック『プラトン入門』(岩波文庫)
ルチャーノ・デ・クレシェンツォ『物語 ギリシア哲学史II』(而立書房)
J. Burnet, Greek Philosophy I, Macmillan.(by Questia Online Library(有料))

テキスト・翻訳
Platonis Opera V, OCT.
J.M.Cooper (ed.), Plato Complete Works, Hackett
『プラトン全集』14(岩波書店)
by matsuura2005 | 2004-02-15 16:56
哲学講義14 - プラトン(2) 対話篇の性格 -
プラトン哲学の特徴をつかむために、今回は、主に、プラトンの著作の性格についてお話します。著作の性格などと言われると、プラトン哲学の中身にはほとんど関係ないのではないか、と思われるかもしれませんが、たぶん、そのまったく逆です。今回書くことは、プラトン哲学を理解する上で、決定的に重要な意味を持っていると私は考えています。


プラトン哲学を勉強しようとする時、
たいていの人は、まず、プラトンの著作を読むことに向かいます。
それで一向に差し支えないわけですが、
私に思われるところでは、プラトンの思想を理解しようとする場合には、
ただ単にプラトンの著作を読むというだけでは不十分であり、
プラトンがどういうつもりで自分の著作を書いているのかを、
多少なりとも踏まえた上で読む必要があります。
そうしないと、個々の著作内容を理解する上で、
ほとんど致命的な誤りを犯すことになるように思います。
なぜかというと、これから説明しますように、
プラトンは必ずしも自分の考えを対話篇の中に書くとは限らず、
むしろ、それを書かないことが多いと考えた方がよく、
その書かなかったことを読者が読み解くことができるかどうかを見るという意味で、
プラトンは読者を「試す」ために著作を書いている、と私には思えるからです。

プラトンの著作の多くは対話篇形式(一種の戯曲形式)で書かれており、
勇気とは何か、知識とは何か、等々の仕方で、問題が設定されます。
そして、長い間議論した結果、
結局、その問題に対する答えが見つからないまま、対話篇は終わってしまいます。
ですから、それを読んだ人の第一印象は、
「何なのこれ?」「何が言いたいの?」という類の感想になることがほとんどです。
もちろん、これだけのことではありませんが、今は話を単純化して言いますと、
こうした困惑の感想、これを今仮に「アポリア」という言葉で表現しておくことにしますと、
この「アポリア」の感想を抱くことになるのも、
私に言わせれば、プラトンの対話篇が持つ次の性格を踏まえていないからなのです。

「プラトンの提示するアポリアは、
スフィンクスのかけた謎に似て、
それを解いたオイディプースだけがテーベ市の中に入っていくことができたのと同様に、
プラトンの想定している仕方でアポリアを解いた者だけが、
プラトン哲学の内部へと入っていくことが許される、
そうした入門的な性格を持った「問題」である。
従って、スフィンクスのかけた謎に「人間」という答えが用意されていたのと同様に、
対話篇に示されるアポリアの解答を作者プラトンは想定しており、
しかし無論それは対話篇に明記されておらず、
読者自身がプラトンの考えに即してその解答を得ることを要求されている。」

要するに、プラトンの対話篇に現れるさまざまな「アポリア」は、たとえて言うなら、
アカデメイアというプラトンの建てた学校へ入るための「入学試験問題」のようなものであり、
その「問題」をどういう仕方で解くか、あるいは、解かないかで、
その読者がどういう種類の人間かが試されているということです。

たとえば、
「ソクラテスは美しい青年を好む」そうだ。
となれば、「ソクラテスはホモセクシャルだ」。
すると、ソクラテスは口では魂を配慮せよと言っておきながら、
実際には、身体の方を配慮していることになるが、
これは一体どうしたことだ。

もしこの種のアポリアが対話篇中に明示的に書かれていた場合、
読者がしなければならないのは、
「対話篇に書かれている通りにソクラテスを眺めること」ではありません。
読者がしなければならないのは、
次のように、ソクラテスやプラトンの意図は何かと自分自身で考えることです。

対話篇登場人物は、「ソクラテスは美しい青年を好む」という言葉から
ただちに「ソクラテスはホモセクシャルである」という結論を導き出している。
しかし、その結論を導くにあたって、この登場人物は、暗黙のうちに、
「美しい」という言葉を「身体が美しい」という意味に理解している。
つまり、
「美しい青年を好む」⇒「身体の美しい青年を好む」⇒「ホモセクシャル」
ということである。
しかし、「美しい青年を好む」といわれているからといって
ただちに「身体の美しい青年を好む」とは言えない。
なぜなら、「美しい」という言葉には、
「身体が美しい」という意味と、「心が美しい」という意味があるからだ。
むしろ、ソクラテスが繰り返し「魂を配慮せよ」と言っていることからすれば、
それを「心が美しい」という意味に解するのが自然であろう。
そう解すれば、
「ソクラテスは美しい青年を好む」という言葉は
「ソクラテスは魂の美しい青年を好む」という意味であることになり、
ソクラテスはやはり魂を配慮していることになる。

何か、このような仕方で、対話篇に現れるアポリアを、
プラトン・ソクラテスの思想に即して解消すること、
このことを読者は作者プラトンから求められている、と私には思えるのです。

もう一つ、今度は、「哲学は死の練習」という言葉を例に挙げて説明しましょう。
この「哲学は死の練習」という言葉にしても、
「死」を「身体から魂が分離すること」と理解するところまではいいとしても、
それは物理的な意味での死を練習する(自殺を試みる)ということではなく、
たとえば、
「あいつは哲学なんてことに熱中しているが、
そんなことをしていれば、
この世の快楽・富などの享受からほとんど遠ざかってしまい、
それはほとんど「死んだも同然」だ」
というような文脈で使われる「死」なのです。
たとえば、快楽、富という言葉が、二義的であることに注目しましょう。
快楽や富という言葉を、各々、身体的快楽、金銭という意味に解すれば、
哲学者は「死」を試みていることになります。
しかし、それらを、精神的快楽、心の財産という意味に受け取れば、
哲学者は「生」を試みていることになるでしょう。
なぜなら、哲学者は精神的快楽や心の財産を増やそうと試みているわけですから。
したがって、ソクラテスの言う「哲学は死の練習」という言葉は、明らかに「イロニー」なのです。
死という言葉を、物理的な意味での死と解するか、精神的な意味での死と解するか、
このことが試されているということです。
もし物理的な意味での死と解するなら、
つまり、物理的な場面で魂が肉体から離れるという意味に解するなら、
ソクラテス自身は死を練習などしていない。
ソクラテスは自殺を神によって禁じられたものと理解しています。
他方、死という言葉を、精神的な意味での死と解するなら、
つまり、精神的な事柄として魂が肉体から離れるという意味での死、
自分の関心を物体的なものから引き離すという意味での死と解するなら、
ソクラテスは死を練習している。
それゆえ、哲学は死の練習という言葉を聞いた人がそれをどう理解するか、
その理解によって、聞き手の思考の基盤に何があるかがわかる。
聞き手が無意識のうちに何に関心を持っているのかがわかるのです。

もちろん、以上は、対話篇に現れるいろいろな種類の「アポリア」の扱い方に関する説明であり、
もともとアポリアでないものまで無理やりアポリアとして読む必要はありません。
しかし、対話篇を読んでいて「困った」時、
何が言われているのかよくわからないとき時、
あるいは、どうしてこんなことをプラトンは書いたのかと思えるような時、
そういう時には、往々にして、上記の「魂」と「肉体」、「魂」と「物体」といった、
「魂自身(真の自己)」と「魂の付属物」という対照を念頭におけば、アポリアが解消し、
対話篇作者プラトンが何を意図していたのかがわかる、
とだけは、これまでの私の経験から言えます。

従って、繰り返しになりますが、ある対話篇を読み、その中にアポリアが現れたとき、
そのアポリアに対して、「読者自身がどのような反応を示し、どのような答えを出すか」ということによって、
「その読者の思考の性質」が試されていると言えるわけです。
上の例で言えば、「美しい」や「死」という言葉を聴いて、
直ちに「美人」とか「身体的な死」を思い浮かべる私のような読者の思考は、
「身体」への関心を基盤として成り立っているわけです。
何かある対象が与えられたとき、その対象を、つい、そういうものとして見てしまうこと(salience)
その、ある種の習慣というか、常識的思考というか、自分の思考の中に直ちに入ってくるものというか、
当然視(taken-for-granted)というか、
そういうものから自分自身を引き離すことができるかどうか、
そうした仕方で身体的対象に「関心」(心がある対象に関わろうとする傾向と、ここでは考えておきます)
を持っている心の目を、身体以外のものへと向け変えることができるかどうか
このことを作者プラトンは、そのアポリアを書くことによって試しているのだと私は考えています。
実際、このことは、ソクラテスのエレンコス(論駁法)、産婆術、
プラトンのディアレクティケー(問答法)、魂の浄化(カタルシス)といったことと
密接な関係を持っていると思います。

プラトンの対話篇を読むときには、こうした点に留意して読むことが重要です。
この点をまったく念頭におかずに、ただ単に読んだ場合、
ほとんどは、プラトンの意図を根本的に見誤ることになるでしょう。
by matsuura2005 | 2004-02-14 16:54
哲学講義13 - プラトン(1) プラトニック・ラブ -
プラトン哲学を紹介するにあたって、通常なら、プラトンの生い立ちや対話篇の分類から入るのでしょうが、その話をする前に、もう少し卑近なところから入ることにしましょう。プラトニック・ラブという言葉について説明することによって、プラトン哲学の基本的な特徴の一つを押さえることから始めることにします。


プラトニック・ラブを直訳すれば「プラトン的な愛」ということになるでしょうか。
この言葉はたいてい小学生高学年か中学生くらいになると、
一度や二度は耳にするものだと思います。
私が何時この言葉を初めてきいたのか、忘れてしまいましたが、まあそれはいつでもいいとして、ともかく、プラトニック・ラブという言葉の意味は、
肉体への愛を超越した精神的愛、というあたりに落ち着くことが多いのではないかと思います。
ソクラテスやピタゴラスについての話をしたときに、
できるだけ魂を肉体から分離する、魂の浄化、魂の配慮
といったことを述べましたが、
ソクラテスの弟子であるプラトンが、ソクラテスやピタゴラスと同様に、
魂の浄化ということを重視していたことに違いはありません。
ですから、プラトニック・ラブという言葉を今述べたような、精神的愛という意味に解することは、それはそれで間違いではないのです。
ただし、世の中にはちょっと誤解している人が多いようなので、
「ストイック」(禁欲的)という言葉と対比することで、
プラトニックという言葉をもう少し正確に理解しておきたいと思います。
プラトニックという言葉は、ストイックという言葉とは必ずしも同じ意味ではなく、それを包括するより広い意味内容を持っているということが、以下の話の要点です。

ストイックという言葉は、今述べたように、「禁欲的」というほどの意味ですが、
この言葉は、もともと、「ストア派」と呼ばれる、
ヘレニズム時代(BC323-BC31)の哲学の一派に由来します
(注:ヘレニズムという呼び名は、19世紀のドイツ人学者ドロイゼンによるもの。
また、ヘレニズム時代の年号は、
A.A.ロング『ヘレニズム哲学』(金山訳、京都大学学術出版会、2003年)の
「英語版第一版への序文」冒頭(xvi)にしたがっています)。

ストア派という言葉の語源は、この学派の開祖であるゼノンが、
アテネの街中の「柱廊(ストア)」でその講義をしていたのでこの名がついたと言われていますが、
そのストア派のゼノンに大きな影響を与えた学派の一つが、犬儒派(キュニコス派)です。
犬儒派の一人「樽のディオゲネス」については、既にお話しましたのでここでは繰り返しませんが、
要するに、なるべく欲望を抑えて質素に生きることを選んだ人たちのことだと理解しておけば、
当たらずとも遠からずでしょう。
その犬儒派の開祖アンティステネス(BCE.445ca〜365ca)がソクラテスの弟子の一人で、
ソクラテスがピタゴラス同様、魂を肉体から分離すること、魂の浄化、
魂の配慮といったことを説いていたことに影響を受けて、
それをいわば忠実に実践した人たちが、犬儒派ということになるのでしょう。
結局、ソクラテス⇒犬儒派(禁欲主義)⇒ストア派⇒ストイック(禁欲的)、という流れになるでしょうか。
その意味では、同じくソクラテスの弟子プラトンに由来するプラトニックという言葉を、
ストイックという言葉と混同する人たちが出てくるのも、ある意味で、当然といえば当然なわけです。

しかし、重要なのは、ソクラテスという人は、単に禁欲主義的傾向のみを持っていたわけではなく、
同様にまた、快楽主義的要素をも持っていたということです。
たとえば、ソクラテスは、酒豪であり、子供もいます。
酒にはめっぽう強く、他の人たちが酔いつぶれても、ソクラテスだけは平気だったとか。
このある種の快楽主義的傾向が、
キュレネ派(アリスティッポス)⇒エピクロス派(エピクロス)という形で
(語弊はあるかもしれませんが)受け継がれていったわけです
ソクラテス⇒キュレネ派⇒エピクロス派ということです。
(エピクロス自身は肉体的快楽を退け、精神的快楽を重視したので、
肉体的快楽を好む人のことを享楽主義者、精神的快楽を好む人を快楽主義者といって
区別することがあります)。

このほかにも、エレア派のパルメニデスの流れを汲むメガラ派という論理主義的傾向の強い学派
(開祖:エウクレイデス)もありますが、
この学派については、ここではあまり立ち入らないことにします。

プラトニック・ラブという言葉にまつわる話として、エロスの話があります。
『饗宴』という対話篇の中では、エロスという神が賛美され、
その一つに、有名なアンドロギュノス(両性具有)の話が出てきます(アリストファネスの演説)。
その話のあらましを述べると、次のようになるでしょう(189c2以下)。

太古の昔の人間の本性は、現在の人間とは違っていた。
そもそも性も男女の二つではなく三つの性があった。
一つは男、一つは女、もう一つは男女と呼ばれる種族で、この最後の種族がアンドロギュノスである
(「アンドロギュノス」という言葉は、男という意味の「アネール」という言葉と、
女という意味の「ギュネー」という言葉との合成語です)。
人間がこの三性から成っていた時代には、手が四本あり、足も四本あり、
顔もまったく同じものが二つ背中合わせになって、一つの首の上についていた。
その時代の人間はとても強く、神ゼウスに反乱を企てたので、
怒ったゼウスは、各々の種類の人間を真ん中で真っ二つに割ってしまった。
その後、人間は二本足で直立歩行をはじめ、
男の種族だった人間から、現在ホモセクシャルと呼ばれている人々の大部分が生じ、
女の種族だった人間からレズビアンの大部分が生じ、
男女の種族だった人間から、現在、男好き・女好きと言われる人々の大部分が生じるなどして、
各々、自分の「失われた半身」を求めて互いに結合しようとするようになった。

大雑把に言えば、こういう話です。
この話が何を意味しているのかという点については、
とても断定などできるものではありません。
いろいろな見方があって、一つには、たとえば、
人間は一人だけでは生きていけない、相互依存的なあり方をしているということをいっているのだ、
という見方でしょう。
つまり、人間が自分自身の本来のあり方を求めるとは、
失われた半身として自分のパートナーを求めることであり、その引力がエロスである、ということです。
この考えによれば、この前、私が知徳一致ということでお話した、「他者」との依存関係は、
プラトンは主題的には扱わないという話は、どうも違っていたということになりそうな、
なりそうでないような、微妙なことになるのですよ。
つまり、自分自身の「失われた半身」というのを、この話の通りに受け取ると、
いわゆる「恋人探し」という意味にもなりそうで、その場合には、他者を必要とする、
相互依存的なあり方を実現するという形での自己実現の系統の話に近づくわけですが、
他方、「失われた半身」を「自分の理想的な姿」という意味に理解すれば、
必ずしも恋人探しという意味ではなく、他者との依存関係というよりはむしろ、
自分がなりたいものになるという意味での自己実現に近づくわけです。
他方また、こうも考えられるのです。
つまり、もともとこのアンドロギュノスの話が何のためにされたのかを考えると、
それは、人間が神に逆らうとは傲慢だということを言うためであり、人間は傲慢であってはならない
ということだとすると、それは、どちらかというと、節度ある生活、節制、ということに近くなり、
となると、それは、「魂の調和」としての自己実現という話に近づいていきそうに思えます。

一体、このうちのどれなのでしょうか。
私には、このどれかだと今ここで断定することはできませんし、
また、ここに述べた以外の事柄が言われている可能性だってもちろん十分にあるでしょう。

さて、話が長くなりましたが、エロスの話はともかくとして、
言いたかったのは、はじめに要約しましたように、
プラトニックという言葉は、ストイック(禁欲的)という言葉とは必ずしも同じ意味ではないということ、
従ってまた、プラトニック・ラブという言葉も、
必ずしも身体的な愛を否定するものではないということです。
魂の配慮の妨げになるような仕方で肉体的な事柄を追求することが否定されているだけであって、
逆にまた、もし肉体的欲求を抑えることによって魂の配慮が妨げられるなら、
その抑制は、プラトン・ソクラテス的には、
あまりよろしくないということになるのでしょう。
「腹が減っては戦ができぬ」ではありませんが、
精神的活動をするために必要なだけの身体的欲求は満たす必要があり、
それを無理に抑えることはかえってよくない、と、ソクラテス・プラトンは考えていたということです。
以上、プラトニック・ラブというと、一般には、
肉体的快楽をまったく排除した形での愛という意味で理解されているように思えますが、
プラトン学者から言えば、それはストイックな愛のことであり
(こういうと、ストア派の専門家が何かぶつぶつ言うかもしれませんが)、
プラトン・ソクラテス自身はそこまで禁欲的な愛を勧めていたわけではないと思います。
ただし、ソクラテスと違って、プラトンは生涯独身でしたけれども。
by matsuura2005 | 2004-02-13 16:52
哲学講義12 ソクラテス(3−2) 知徳一致(2)
前回でソクラテスの話を打ち切って、そうそうにプラトン・アリストテレスの話に移ろうと思っていたのですが、
前回書いた内容を見直していて、これはどうみても哲学以外のことを専門にした方々を対象とする哲学講義として片手落ちだと思えてきて、もう少し、その観点から徳とは何かという問題を追求してみたくなったので、そうすることにします。

そこで、話に入る前に、次の二点をあらかじめ断っておきたいと思います。
一つは、これから述べる事柄は、授業中に言ったことではなく、今、考えていることなので、
さしあたり試験や単位云々とは別枠で、興味のある方に読んでいただければ
それでいいということ、つまりは、「ご参考までに書いてみました」ということ。
もう一つは、これから述べる事柄は、ソクラテスやプラトンの考えというよりは、
むしろ、ソクラテス等の考えを私自身で受け取った上で、私自身の考えとして示すものなので
いわば「応用ソクラテス」というかなんというか、
ともかく、ソクラテスの思想の純正品ではないであろうということです。

そこで、まず、前回の内容を簡単に振り返ることから話をはじめることにします。

ソクラテスによれば、徳は知であり、知が自己知である以上、徳は自己知でした。
そして自己知という場合の「自己」が「魂」なので、
結局、真の自己のあり方を知ることは自分の魂のあり方を知ることであり、
それが徳であるということになります。
また、前回は、真の自己が自分自身の本来的なあり方(ピュシス)と解され、
だから、徳とは自分自身の本来の姿を知ることなのだ、
だからまた、「徳とは何であるか」の答えは
「徳とは自分自身の本来の姿を知ること」なのだ、という筋の話をしました。

さてそこで、ここからは前回は書かなかったことですが、
自分自身の本来の姿、魂の本来の姿がどういうものかということについて、
プラトンやソクラテスは、おそらく、というか、十中八九、こう言うと思います。
すなわち、魂には理性的部分と気概的部分と欲望的部分があって、
理性的部分が他の二つの部分をコントロールすることによって、魂の調和が保たれ、
その調和した状態にある魂こそがその本来のあり方である
(『国家』 魂の三部分説、『パイドロス』 馬の比喩)。
だから、真にめざすべきは、
単に、大工は大工の仕事をし農夫は農夫の仕事をするというような
外面的な意味で「自分自身のことをする」ということではなく、
魂の各々の部分が自分自身の仕事をし、他の部分に余計な手出しをしない、
「魂の調和」という内面的な場面で「自分自身のことをする」
(自分自身(魂)の本来のあり方を達成する)、ということである、と。
この意味での「自己実現」が
ソクラテス・プラトン流の「自己(魂)の本来的なあり方の実現」なのでしょう。

となると、少なくともその限りでは、
ソクラテス・プラトン流の自己実現と、一般に世間で言われている「自己実現」とは
必ずしも直接的にはつながらないということになりそうです。
世間で言われている自己実現は、どちらかというと、「自分の生き方は自分で選ぶ」とか、
「プロ野球選手になることが私の自己実現(夢の実現)だ」という種類の、
ソクラテスやプラトンにいわせれば、
「外面的な意味での自分自身のことをすること」に近いからです。
もちろん、ソクラテス等が内面的な意味での自己実現を重視する理由はわかります。
なぜなら、たとえば、オリンピック選手になって金メダルをとり、自己実現を果たしたとしても、
それだけでその人を、「有能な選手」とは呼んでも「有徳な選手」とは呼ばないでしょうから。
金メダルをとっても、実生活で悪いことばかりしていては、有徳とはいえない。
同様にまた、優秀な外科医は、「有能な外科医」であることは確かですが、
それでただちに「有徳な外科医」になるわけではありません。
有徳であるためには、その人の心の中が「調和」していなければならないからです。
その意味で、「外的な意味での自己実現」と「内的な意味での自己実現」との間に
ギャップがあることは確かであり、プラトン・ソクラテスが重視しているのは、
「内的な意味での自己実現」、すなわち「魂の調和」の方なのです。

しかし、仮にそうだったとしても、
それで直ちにソクラテス流の「魂の調和」「内的自己実現」に納得できるかと言えば、
少なくとも私はそうではありません。
というのは、プラトンやソクラテスが、
「魂の調和」とか「自分自身に打ち克つ」「節制する」というときのその意味が、
具体的には、どういうことなのか、いまひとつはっきりしないからです。
もちろん、不必要なまでに華美な服を着たり、美食を追求したり(グルメ旅行)、
性欲に溺れたりしない、という類の具体例ならば、
プラトンの対話篇を見ればそこらじゅうに転がっています。
その意味では、そうした具体例を節制等の例と見ることも考えられます。
そしてまた、もちろん、「魂の調和を達成すること」が
「自己自身(魂)の本来的なあり方を達成すること」なのでしょう。そのことは私もそう思う。
しかし、そこから直ちに、「だから美食をするな」とか何とか言われても、
それは私にはただの「お説教」としか聞こえず、少なくとも私にはほとんど説得力がない。
理論(魂の調和等)と具体例(美食云々)とのつながりが、私に言わせれば、弱いということ、
いくらでも反論できそうに思えるということです。
たとえば、「何をもって『不必要』と判定するのか?」とか、
「年に何回までならおいしいものを食べても美食追求とみなされないのか」
という類のことです。つまり、味覚など、人によって異なり、
服装にしても、どういう服装を「華美」と思うかは人によって変わってくるのでしょうから、
「美食を慎め」とか「質素な服装に」とか言われても、
具体的にどこまでが質素なのか、どこまでが美食なのか、基準が明確でないということになる。
あるいは、もっと言えば、これはほとんど揚げ足取りですが、
質素な服装をして働けばそれでただちに有徳な看護師になれるのか、
グルメ旅行にいきさえしなければそれでただちに有徳な看護師になれるのか、
週に一度座禅を組みさえすればそれでただちに有徳な看護師になれるのか、
といえば、おそらくそうではないでしょう。

だから、私としては、もっと私自身にとって説得的な例、基準がより明確になる例をもって
「魂の調和による自己実現」ということを私自身に向かって説明することが必要になる。
だから、私は、自分自身にとって説得的な例を考えることで、
ソクラテスやプラトンの提示している魂の調和や節制ということを考えてみる、
ということです。
実際また、この場は、古代ギリシア哲学の学会や研究会の発表の場なのではなくて、
医療系の大学の哲学講義という場なのですから、
ただ単に、ソクラテスがどう考えたかだけを問題にするよりは、
むしろ、ソクラテスの思想をどう医療現場に生かすことができるのかを考えることの方が
重要であろうと思えます。

そこで、私は、次の例で考えて見ることにします。
つまり、「自分が人の役に立つかどうか」、ということです。
このことによって、魂の調和(内的な自己実現)が得られるとともに、
「自分の仕事」(外的な自己実現)を見出すことにつながるように思えるからです。

自分が他の人のためにしたことに対して、その人が好意的な反応を示してくれたとき、
自分がそこにいる意味があったと思える。
自分の存在意義は、自分の行為が他の人に認められることによって確立する。
自分のしたことが周囲の誰にも好意的に受け入れられなかったとき、
自分がそこにいる意味はないと思える。
その意味で、自分の存在根拠は、他者から受け入れられることにあるといってもいい。
ひとたび自分の存在意義が確立すれば、つまり、自分がそこにいる意味があると思えれば、
自分の心は穏やかになり、むやみやたらと周囲の人に対して競争心を抱いたり、
敵対心を抱いたり、悪意を抱いたりすることはなくなる。
この状態が、自分の魂が調和のとれた状態にあるということなのだと私には思える。

いたずなら競争心は、おそらく、魂の欲望的部分の暴走の一つの表れであり、
何が何でも自分を主張する等の形で、(厳密にどうかはさておき、)
最終的には、エゴイズムへと通じていくように思える。
そうしたエゴイズム、いたずらな競争心が生じることになった大もとの原因は、
私の見るところでは、自分の存在が周囲に認められなかったことであり、
だからこそ、自分の存在を是が非でも周りに認めさせようとすることになる。

あるいは、逆に、自分の行為・振る舞いが認められないこと、無視されること等によって、
自己主張の反対、他人から距離をとるという方向へ走るということもありうるだろう。
意気消沈というかなんというか、ともかく「やる気」がなくなり、「どうでもいい」と思うようになる。
プラトン・ソクラテス的な枠組みで言えば、気概の欠如というかなんというか、
いずれにせよ、魂が調和した状態にはない。

だから、繰り返しになるが、私には、
自分のしたことが他人の役に立ち、他人がそのしるしを送ってくれたことによって、
自分の魂の調和が保たれ、心おだやかに人と接することができるようになるように思える。
この状態が、私に言わせれば、ソクラテス・プラトン流の「内的自己実現」である。

そして、そうした経験が、ある特定の分野や職業の中で繰り返されるとき、
その分野や職業が「自分に向いている」「自分に合っている」と思えるようになる。
それが、私の見るところでは、
ソクラテス・プラトン的な枠組みでの「外的な自己実現」へと通じている。

このように、ソクラテス・プラトン流の「内的自己実現」と「外的自己実現」とは、
「他人の役に立つこと」を媒介にしてつながっており、
その状態で行われた行為が「有徳な行為」なのだろう。

だから、内的であれ外的であれ、自己実現の指標になるのは、
自分のしたことが他人に喜んでもらえるかどうかということ、
自分がそこにいることを有意味であると思えるかどうかということ、
自分がそこにいる理由を見出せるかどうかということ、
あるいは哲学者風に大げさに言えば、
自分の存在根拠を見出せるかどうかということ、である。
これが「自己実現」ということの意味、
ソクラテスの「知徳一致」の思想をもとに、私なりに考えた自己実現の意味である。
実際、自分が他人のためにしたことがその人に喜んでもらえるとわかれば、
自分は喜んでそれをするであろう。
そうすることで自分はそこにいてもいいのだということがわかるのだから。
何が善いことかを知っていれば、必ずその何かをする。
このことが知徳一致だというのであれば、
私がここにあげた例も、一種の知徳一致であろう、と私は言いたい。

(ただし、患者の気持ちを数値であらわそうとするいわゆる「満足度調査」は、
哲学史概観の末でも述べたように、あきらかなカテゴリーミステイクなので、
そういうものにたよって患者の気持ちをはかろうとしても、
少なくとも患者の立場からは、
あまり意味がないということは覚えておいたほうがいいと思う。
満足度があがってよろこんでいるのは、患者というよりは医療者であろうから。
私が患者だったときの経験からそう言える。)

さて、以上で話は終わりなのですが、
もちろん、これだけでは話が単純すぎると言われるでしょうし、それは多分その通りでしょう。
また、もしここで私が述べたことが、
プラトンの対話篇の中の私が忘れてしまったどこかに書いてあったとしても、
それはそれで構わない。むしろ、私が今日考えたのと同じことをプラトンも考えていた
ということがわかり、私としては「うれしい誤算」というところです。
ただし、田中伸司さん(静岡大学助教授)の
「他者を問うことをめぐって −古代ギリシャ哲学、とくにプラトンの対話篇から見えてくること−」
静岡大学哲学会『文化と哲学』第二十号(二〇〇三年)
によれば、「他者を論じないプラトン」とあるぐらいですから(五十一頁)、
プラトンの対話篇の中に上述の私見が明示的に見出される可能性は薄いと思います。
また、私は心理学等の研究者ではないので、
エゴイズムということが心理学等の分野でどういう扱いを受けているのかについては、
考察の対象外としています。ここでは、私がどう思うかを述べているだけです。)
by matsuura2005 | 2004-02-12 16:51
哲学講義12 -ソクラテス(3)  知徳一致(1)-
前回はソクラテスについて、特に無知の知と自己知について話しました。今回の話もそれと密接にかかわるのですが、さしあたり、「哲学は死の練習」 (へー フィロソフィア メレテー タナトゥー)をメインテーマに掲げておきます。

この思想は、ピタゴラス派の輪廻転生や魂の不死という点にかかわります。
というよりはむしろ、ピタゴラス派のこの思想そのものが、
ピタゴラスより後の時代のプラトンの対話篇の中で、
対話篇登場人物であるソクラテスの口を通して語られるといった方が、真実に近い。

もちろん、プラトンよりもっと後の時代の人々もピタゴラスについて語っているわけで、
そういうもろもろの資料を総合して、ピタゴラスはこういうことを考えていた、と推定されている、
と言っておいてかまわないでしょう。

ソクラテスもまたピタゴラス同様、自分では一言も著作を書きませんでした。
ピタゴラスは書かなかったのではなくて
書いたものが残っていないだけだという考え方もできますが、
ソクラテスの場合は、文字通り、何も書かなかったと考えておいたほうがいいでしょう。

したがって、ソクラテスについての話は、私のこの講義だけでなく、
ほかのどんな人の講義・書物の中で語られていることも、すべては推定・解釈にすぎません。
それは現代においてそうであるだけでなく、古代ギリシアでもそうだったわけで、
いろいろな人がいろいろなことをソクラテスについて語っていますが、
それはどれもみな、ソクラテスについてのその人の見方を反映した「解釈」にすぎません。
しかし、その中で、
ソクラテスの弟子の一人であるプラトンの書いたさまざまな対話篇の中に登場するソクラテスが、
そこで語っている通りのことを実際にソクラテスが語ったかどうかということは別にして、
少なくとも、内容的にはソクラテスの思想の核心を表現していると考えることが多く、
私もそう考えてかまわない、というよりはむしろそう考えるべきだ、と思いますので、
プラトンの対話篇の中で語られるソクラテスの考えを、ソクラテスの思想として紹介するわけです。

さて、前置きが長くなってしまいましたが、要するに、「哲学は死の練習」、「霊魂不滅の思想」
「輪廻転生」等々の考えは、この通りのことをソクラテスが語ったかどうかは別にして、
少なくとも、ソクラテスの思想の核心を表現したものであると考えられる、ということです。

では、ソクラテスの言う「哲学は死の練習」とはどういう意味なのでしょうか。
まとめて述べれば、次のようになるでしょう。

ソクラテス(もしくはプラトン)は、おそらく、主にピタゴラス派を通じて、
輪廻転生や魂の不死の思想に触れた。
あるいは、オルフィック教という民間信仰を通じてだったかもしれない。
いずれにせよ、輪廻転生とは、先にピタゴラス派について説明する際に述べたように、
生まれ変わりの思想であり、その場合の「死」とは「魂が肉体から離れること」だった。
ここで、前回述べた自己知ということと密接にかかわるのは、
ソクラテスにとって「魂」とは「自己自身」、「真の自己」のことであり、
逆に、「肉体」とはそうした真の自己とは異なるもの、
自己の「付属物」、「飾り」にすぎないものだったということである。
だから、魂が肉体に入ってくること、つまりこの世に生まれてくることは、
魂が自分にとって飾りに過ぎない「衣装」を身にまとうことであり、
逆に、魂が肉体から離れること、つまり「死」とは、飾りである衣装を脱ぎ捨てることだった。
こうしてあたかも何度も衣装を取り替えるように肉体を取替え、魂は永遠に生と死を繰り返す。
しかし、このように輪廻転生を繰り返している限り、
魂はたとえ一度肉体を離れ、真の自己自身に戻ることができたとしても、
再び自己の付属物の中に入ってこなければならない。
それは真の自己ならざるもの、魂の墓場に結局は戻ってこなければならないようなものである。
だから、魂はなるべくその墓場から外に出て、
自分自身だけになるようにつとめなければならないし、
魂が本当に求めているのは、その魂が各々の時に何に目を向けているにせよ、
魂だけになって暮らすことである(浄福の人々の住む島々で)。
これがつまり輪廻の輪から脱け出すこと、解脱であった。
魂は本当はこの解脱を求めている。だから、肉体の中に入っているときにも、
なるべくその状態に近づけるようにすることが魂にとって本来的な活動であり、
そうすることで幸福に近づくことができる。

さて、ではその「解脱」が、つまり、「永遠の死」が、
あるいは、より正確に言えば、なるべくその「永遠の死」へと近づくことが、
なぜ「哲学」なのだろうか。

それはこの哲学講義2で述べた「哲学」という言葉の語義、
「愛知」の精神と密接にかかわっている。
すなわち、哲学という言葉はギリシア語の「フィロソフィア」の訳語であり、
そのフィロソフィアとは「知を愛すること」、「知を求めること」だった。
タレスやアナクシマンドロス等、いわゆる自然哲学者の場合には、
それは宇宙の理法を探求しようとする知、
自然現象についてその何たるかを探求しようとする知であった。
だが、ソクラテスの場合には、そうではない。
ソクラテスが求めたのは、自然現象についての知ではなく、「善美なる事柄」についての知、
幸福についての知、人間いかに生きるべきかについての知であった。
人はどうすれば幸福になれるか、その答えを求めて探求活動を行った。
それがソクラテスにとっての哲学だったのである。
ところで、ソクラテスにとって死とは魂が魂だけになることだった。
死こそが幸福なのである。
そしてその魂とは真の自己のことだった。
それゆえ、真の自己とは何かを求める自己探求・自己吟味を行いつつ、
なるべく真の自己に近づくこと、自己実現を果たそうとすることが、
人間にとって幸福に近づくということである。

要するに、
(1)ソクラテスにとっては汝自身を知れとの箴言による自己探求が愛知としての「哲学」である。
(2)その「汝自身」こそが「真の自己」、すなわちソクラテスの言う「魂」である。
(3)われわれが真の自己を求めて魂だけになることが「死」である。
(4)したがって、「哲学」は「死」の練習である。
ということです。
あるいは、もっと簡単に言えば、
「哲学とは、自己をできるだけその付属物から引き離し、真の自己になろうとすることである」
と約言できるかもしれません。
これがソクラテスの言う「哲学は死の練習」ということの意味です。
by matsuura2005 | 2004-02-12 16:46