管理人 : 松浦明宏
2004年 02月 18日 ( 1 )
哲学講義18 - プラトン(6) 霊魂不滅の証明・ソクラテスの死 -
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ジャック・ルイ・ダヴィッド(1787年)
「ソクラテスの死」


ジャック・ルイ・ダヴィッド(1748-1825)は、ルーブル美術館にある「皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式」などで有名な、新古典主義の歴史画家ですが、そのダヴィッドの作の絵の中に、「ソクラテスの死」があります。
この絵は、ご覧の通り、ソクラテスに同情的な役人からソクラテスがまさに毒盃を受け取ろうとしているシーンを描いており、集まった弟子たちが悲嘆にくれているのに対して、ソクラテスだけは何か毅然とした態度で死に臨んでいるようにわたしには思えます。

さて、今回の哲学講義は、プラトンの『パイドン』に描かれた霊魂不滅の証明とソクラテスの死の場面を見ることにします。『パイドン』という対話篇は、ソクラテスが死刑を執行される当日に弟子たちと交わした会話を記すという形で書かれたもので、その中で、死を目前に控えたソクラテスが霊魂不滅の証明を行っています。いわゆる心身二元論や、あの世とこの世の二世界説とも密接に関わる描写の行われる対話篇で、『饗宴』とは対照的に、全体的に禁欲主義的色彩が濃厚な対話篇です。

わたしの個人的な感想をいえば、『パイドン』は、『パイドロス』のパリノーディア(歌い直し)の箇所と並んで、プラトンの数ある対話篇の中でも、出色の作品です。もちろん、『饗宴』、『国家』、『ソクラテスの弁明』、『ゴルギアス』等々、プラトンの対話篇の中には、甲乙つけがたい作品が多いわけですが。
ところで、その霊魂不滅の証明ですが、『パイドン』の霊魂不滅の証明には、いくつか段階があります。対話相手の要請に応じて、より強い証明へと移っていくのです。(以下はもちろん概略であり、実際にはもっとややこしい話です。)

(1)生と死の循環による証明
死者はかならず生者から死者になり、生者はかならず死者から生者になる。
もし生者が死者になって再び生れ変わるということがないとすれば、
長い間に、すべてのものが死者となって、生者がなくなってしまうはずである。
(しかし、現に、生者がいる。)したがって、生れ変わりということが現にある。
すると、死者の魂はあの世で現に存在していることになる。

(2)想起説による証明
われわれは、たとえば、肉眼を通して等しい事物を見て、
それら等しい事物が等しさそのものに似ようとしているがそれに劣っていると考える。
すると、われわれは、視覚という感覚を働かせる以前に、
等しさそのものについての知識を既に持っていなければならない。
ところで、われわれが生まれてすぐ働かせるのは感覚である。
したがって、われわれは、生まれる前に、既に、等しさそのものについての知識を持っていなければならない。
生まれるや否や、われわれはその知識を忘れてしまったのであり、
その忘れてしまった知識を、感覚に触発されて、想起するのである。
想起されるものが実在し、それについての知識を生まれる前に持っていたのだとすれば、
われわれの魂は生まれる前にも確かに存在しているはずである。

この二つの証明により、死後も魂が存在することは証明されているわけですが、
登場人物ケベスが、依然として、死後、人の魂は散り散りになってしまうのではないかという恐れを抱いているため、
ケベスを説得するためにさらに強力な証明が行われます。

(3)合成的なものと非合成的なものとの区別による証明
肉体は決して自己同一を保つことのない物体的なもの、目に見えるものであり、合成的なものである。
したがって、肉体は散り散りになる。
これに対して、魂は、常に自己同一を保つ神的なもの(イデア)、目に見えないものに似て、
常に自己同一を保つ、目に見えないもの、非合成的なものである。
そして、非合成的なものが散り散りになることはない。
したがって、魂が死後、散り散りになることはない。

ソクラテスのこの説明に対して、登場人物シミアスとケベスは、各々、次のように反論します。

シミアスの反論
琴の弦は美しいハーモニー(調和)を奏でる。
このハーモニーは目には見えず神的なものであり、非物体的なものである。
他方、琴は物体的なものであり、合成的なものである。
ところで、琴が滅びれば、非物体的なものであるハーモニーも滅びる。
したがって、もし魂が肉体の奏でるハーモニーのようなものであれば、肉体が滅びると魂も滅びる。
つまり、琴の音のハーモニーの存在が琴の存在に依存しているのと同様に、魂の存立は肉体の存立に依存しており、
それゆえ、魂が滅びるかどうかは肉体が滅びるかどうかにかかっている、ということである。

ケベスの反論
われわれの生前や死後にわれわれの魂が存在すること、そして、魂が何度も生まれ変わりを続けるということは認める。
しかし、そのことは、魂が何度も生まれ変わるうちに疲れ果ててしまって、
何度目かに死ぬ時に滅びてしまう可能性を排除できない。
これはつまり、われわれの魂が生前に存在するとか、死後に存在するということを証明しただけでは、
魂が不死・不滅であることを証明したことにはならない、ということである。

これらの反論に対して、ソクラテスは、次のように答えます。

(4)シミアスへの答え
シミアスは、想起説を受け入れている。
想起説は、肉体に入る以前に魂が存在していることを認めている。
この意味で、シミアスは、肉体の滅亡には左右されない魂の存在を認めている。
他方、シミアスが、肉体と魂との関係を、各々、琴の弦と、その調和とになぞらえるとき、
シミアスは、肉体がまずあって、その存在に基づいて、魂というものが成立すると考えている。
したがって、想起説と件の調和説とは相容れない。
この指摘を受けると、シミアスは、調和説を放棄し、想起説を採る。
魂は、肉体に支配されるものではなく、むしろ逆に、肉体を支配するものなのである。

(5)ケベスへの答え -霊魂不滅の最終証明-
ソクラテスは、熱、冷、大、小といった個々のイデアが存在することを、
対話者相手たちの同意に基づいて仮定します。
その上で、次の趣旨の、霊魂不滅の最終証明が行われます。

たとえば、雪と呼ばれるものに熱が近づくと、それは融ける。
これはつまり、雪に熱が近づくと、
雪そのもの(雪のイデア)は熱のイデアと反対関係にないにもかかわらず、
雪そのものと本質的に結びついている冷のイデアが、熱のイデアと反対関係にあるために、
雪と呼ばれるものに雪の形相と共に内在する冷たさもまた熱を受け入れず、
雪の形相は(冷たさと共に)その場を立ち去るか滅びる、ということである。
これと同様に、次のように言うことができる。
すなわち、魂の宿る身体に死が近づくと、
魂そのものは死と反対関係にないにもかかわらず、
魂と本質的に結びついている生が死と反対関係にあるために、
身体に内在する魂もまた死を受け入れず、その魂は(その生と共に)身体を立ち去るか滅びる、ということである。
魂と生とが本質的に結びついているとはつまり、
魂は生の原理であって、魂が宿るものにはかならず生もまた宿り、
逆にまた、生が宿るものにはかならず魂が宿っているという仕方で、
魂と生とは不即不離の関係にあるということである。
ところで、死を受け入れないものは不死なるものである。
そして、魂は、上述の理由により、死を受け入れない。
したがって、魂は不死である。
ここで、何かが熱を受け入れないからといって、それが不滅であるということにはならない。
つまり、何かが熱いものか否かということと、それが滅びるものか否かということとは、直接的なつながりがない。
これに対して、何かが死を受け入れないということと、それが滅びないということとは、密接な関わりを持つ。
すなわち、何かが不死なるものであるということのうちには、それが不滅であるということが既に含まれている。
それゆえ、上述のごとく、魂が不死なるものである以上、魂は不滅でもある。

以上のようにして、霊魂不滅の最終的な証明が行われた後、
ハデス(冥界)・イデア界・幸福の島々等についての神話(ミュトス)が語られます。
その神話が終わると、ソクラテスの臨終の場面が描かれます。
この場面は、わたしがギリシア哲学を専攻することを決定づけたという意味で、
わたしにとっては、とても大切な場面です。
要約するより、主として訳の形で紹介したい気がしますので、そうします。
(訳文は、岩田訳(岩波文庫版『パイドン』)と松永訳(岩波全集版『パイドン』)に基づく、
OCTからの拙訳です。)

ソクラテスは、いよいよ毒盃を仰ぐ時刻になると、
毒薬の一部を神々に捧げたいと役人に申し出ますが、
飲むのに適当な量しか作っていないという理由で断られます。
以下は、その続きです。

「わかった、とソクラテスは言いました。
しかし、たぶん神々に祈ることぐらいは許されるだろうし、祈らなければならないだろう。
この世からあの世への移住が幸運なものになりますように。
わたしはこう祈る。そうなりますように、とね。

こう言うと同時にあの方は盃に口をつけ、
顔色ひとつ変えずに穏やかに飲み干しました。

わたしたちの多くは、それまではどうにか涙をこらえることもできたのですが、
あの方が飲んでいるのを見、飲んでしまうのを見たときには、
もうこらえることができませんでした。
われにもあらず、どっと涙があふれでて、
わたしは顔を覆ってわが身を嘆きました。
-あの方のことを嘆くというよりはむしろわたし自身の運命を嘆いたのです。
なんという友を奪われてしまうのか、と。

クリトンは、わたしよりずっと前から涙を抑えられなくなっていたので、
立ちあがって席をはずしました。

アポロドーロスは、前から涙が止まらなかったのですが、
とうとうその時、悲しみと怒りのあまり大声で泣き出したので、
その場にいた人たちすべての心をかき乱しました。
ただし、ソクラテスご自身は別でしたが。

そしてあの方はこうおっしゃいました。
なんということをしてくれるのだ、君たちは。おどろいた人たちだね。
わたしが女たちを家へ送り帰したのは、まさにこのことのためだったのだよ。
こんな間違いをしないためにだ。
人は静寂のうちに死ななければならない、と、わたしは聞いているからだ。
さあ、静かにしたまえ。我慢しなければ。

それを聞くと、わたしたちは恥ずかしくなり、泣くのをこらえました。

あの方は、歩き回っていましたが、脚が重くなってきたと言うと、
あおむけに横たわりました。
-あの男がそうするよう命じていたからです-

と同時に、毒薬を与えた人があの方に触り、
間を置いて、足首やすねを調べ、
あの方の足を強く押し、感覚があるかどうかたずねました。
ない、とあの方は言いました。
その後、今度はすねを押し、そうして、上の方へと上がっていき、
あの方が冷たくなり硬直していくのをわたしたちに示しました。
そしてその人は触りつづけながらこう言いました。
これが心臓まできたとき、逝くでしょう。

すでに、ほとんど下腹部のあたりまで冷たくなっていましたが、
覆いを取って -というのは、顔が覆われていたからですが- あの方はこう言いました。
これがあの方の最後の言葉でした。
-クリトン、われわれはアスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。それを返しておいてくれ。忘れないように。

うん、きっとそうするよ、とクリトンは言いました。しかし、君、他に何か言うことはないか。

クリトンがそうたずねたとき、あの方はもう何も答えませんでした。
少ししてからピクリと動き、あの男が覆いを取ると、あの方の目はじっと据わっていました。
それを見て、クリトンが、あの方の口と目を閉じたのです。

これが、エケクラテス、わたしたちの友人の最期でした。
わたしたちが知りえたかぎりにおいて、当代随一ともいうべき人の、
とりわけ、知恵と正義において、もっともすぐれた人の、最期でした。」
by matsuura2005 | 2004-02-18 17:02