管理人 : 松浦明宏
2004年 02月 04日 ( 1 )
哲学講義4 -ギリシア哲学の特徴-
前回は、哲学史を概観することで、それぞれの時代の哲学がおおよそどのようなものかを見ました。これでこの講義の序論はおしまいです。今回以降がこの講義の本論で、古代ギリシア哲学について見ていくことにします。

1.理性主義
まず、前回ごく簡潔に触れたように、この時代に初めて理性主義が芽生え、
生成消滅する感覚世界の背後でそれを支配する一なる普遍的原理(アルケー)
を探求しはじめたわけですが、この点についてもう少し詳しく説明しておきましょう。

感覚世界とは「目に見えるもの」であり、
一なる普遍的原理(アルケー)とは「目に見えないもの」です。
多くの「目に見えるもの」の背後で一つの「目に見えないもの」が支配している、
つまり、「目に見えるもの」の世界は多様で無秩序ですが、
その背後には、目に見えない一つの「秩序」・「法則」があって、
それがこの「目に見えるもの」の世界を規定している、ということです。
これはつまり、「目に見える」多くのものを見渡して、
それらを「目に見えない」一つの「全体」(ホロン)としてとらえるということです。
この一つの「全体」は、理性(ヌース)によって「見られたもの」であり、
これが「形相(エイドス)」と呼ばれます。
万物は、この「一つのもの」すなわち「アルケー」「から」生まれ、「アルケー」「へと」帰っていく。

もっとも、後に見るように、
最初からこの一なる普遍的原理が「形相(エイドス)」と考えられていたわけではなく、
最初は、それは水や空気などの物質的なもの、
哲学用語で言えば「質料」(ヒュレー)と考えられていて、
後にそれを形相として考える者が現れた、という点には注意しておく必要があるでしょう。
しかしまた、この「形相と質料」という区別(形相因と質料因という区別)や、
「原理」(アルケー)という言葉遣いそのものが、
アリストテレスの思考の枠組みの中で出されたものであって、
それ以前の哲学者たち自身がそう考えていたという保証はないということにも注意が必要です。
(さしあたり、アリストテレス等、後代の学説史家の言葉をもとに考えていくしかないので、
そのようにしますけれども。)

さて以上の留保を確認したうえで、
では、どうしてギリシア人はこうした一なる原理を探求し始めたのでしょうか、
こう問うことにしましょう。
この問題は、
なぜギリシアで哲学が始まったのかという「哲学の始まり」の問題なので重要です。

2.哲学の始まり
紀元前6世紀頃、ギリシアでは、ギリシア本土よりその植民地の方が繁栄していました。
特に、ギリシア本土からエーゲ海をはさんだ東岸−小アジアの西岸−にあるイオニア地方は、
貿易の拠点となっていました。貿易の拠点となっていたことにより、この地でギリシア人は、
多くの国々の人々と交わり、多くの異種文化に接することになりました。
そしてそのことによって、ギリシアの伝統的な習慣や考え方にとらわれることなく、
自由に物事を考える風土が生まれてきました。

特に、ミレトスというイオニア地方の一都市では、タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスが、
自然現象についての伝統的な神話的説明を放棄し、自然世界をそれ自体として説明しようと
し始めました。たとえば、雷が鳴るのはなぜかという問いに対して、
「ゼウスという神様が怒っているからだ」と答えるのが神話的説明で、
「空の中に上昇気流が発生すると、雹やあられなどの粒が雲中で摩擦され、
雲の上方にプラス電荷がたまり、下方にマイナス電荷がたまります。
雲の発達にともない その電荷が多くなり、
各々の電荷はそのままの状態では存在できなくなり
プラス電荷マイナス電荷が引き合い空中放電(ショート)がおこります。 これが雷です」
(http://www.sankosha.co.jp/thunder_n/whats.html(accessed 04/02/04))
と説明するのが、さしあたりは、非神話的説明であるとここでは言っておきましょう。
この「 」内には、神様は現れず、すべて自然界に属するものから説明が成り立っているからです。

もちろん、タレス等がこの「 」内の説明をしているわけではありませんが、
自然現象を自然の内部で説明するという意味では、同じと考えて構わないでしょう。
とすれば、現代科学はギリシア時代から原理的には一歩も進んでおらず、
ただ精密さの度合いが増しただけということにもなるのでしょうが、それはともかく、
タレス等が神話的説明から脱却したことで、哲学が始まったわけです。

では、なぜ神話的説明からの脱却が哲学の始まりだと言えるのでしょうか。
一言で言えば、ここには、
物事をそれ自体として眺める「観想」(テオリア(theoria)⇒英:セオリー(theory)の語源))
という姿勢が見られるからである、ということになると思われますが、
この点を理解するには、後代のプラトンやアリストテレスの発言が参考になります。

「驚嘆するというこの情こそ哲学者の情である」(プラトン『テアイテトス』(155d2-3))
「驚嘆することによって人々は哲学し始めた」
 (アリストテレス『形而上学』第一巻第二章(982b12-13))

アリストテレスによれば、
最初は身近にある不思議な出来事に驚き、すこしずつより大きな事柄に疑念を抱くようになる。
より大きな事柄というのは、たとえば、月や太陽や星などのさまざまな状態や
全宇宙の生成といったことです。
このように疑念を抱き驚く者は、自分のことを無知な者と考えます。
従って、タレス等は「無知から逃れるために哲学した」のであって、そうである以上、
彼らは「ただ知ることのゆえに知を追求し、何らかの効用のゆえに知を追求したのではない。」
ということになります(アリストテレス『形而上学』第一巻第二章(982b14-21))。

ただ知りたいがために知を追求し、金儲けや利便さといった実用のために
知を追求するのではない、という純粋な姿勢、これが「観想」と言われる精神態度です。
なぜこの精神態度が生じたにことよって神話的説明から離れたことになるのかを理解するには、
たとえば、次の例を考えればよいでしょう。

エジプトでは、
毎年起こるナイル川の氾濫の後に土地を区画整理するために測量術が発達したが、
これはあくまで実用的な理由から発達した技術だった。
しかし、この測量術がさらに発達してくると、
円や三角形や四角形がそれ自体どのような性質を持っているのかを知りたくなる。
こうして「幾何学」(geometry)という純粋な学問が誕生した。
(荻野弘之『哲学の原風景 古代ギリシアの知恵と言葉』NHK出版、p.27-28に基づく)

自然学と数学との区別を無視するとすれば、
これはつまり、自然を観察するうちに自然をそれ自体として知りたくなる、ということです。
この「自然をそれ自体として知ろうとする」知的欲求の中には、
伝統的な神々は入ってきません。
だから、すくなくともタレス等が自然を眺めてそれをそれ自体として知ろうとしたのだとすれば、
タレス等のその精神態度の中には、伝統的な神話を用いようとする要素はふくまれていなかった
と考えるのが妥当です。
この意味で、「観想」という精神態度によって神話的説明から脱却したと言うことができ、
その「観想」の生みの親とも言える「驚き」が「哲学の始まり」だということになるのでしょう。

では、この「驚き」とは具体的には何なのでしょうか。
荻野上掲書ではこの「驚き」についてこう言われています。
「ここでの「驚き」は、突然の出来事や大事件のニュースに接して慌てふためくような、
事実や情報に関わる驚愕ではない。それは「居心地の悪さ」(大森荘蔵)、「目から鱗」(某学生)、
「賛嘆」(山本巍)、「閃き」、「謎」などさまざまな表現をとりうるが、
要するに単なる累積的な知識の獲得とは次元の違う、
真理がわれわれの魂を射抜くような、知的態度の根本的変容なのである。」(荻野上掲書p.14)

また、荻野上掲書では、タレスが「世界の原理は水である」と語ったときには、
「眼前に一瞬開けたかのように思える深淵への無意識の応答、
叫びのようなものだったかもしれない」(p.26)
と言われています。

この「深淵」とは、
この目に見える世界にはその存在根拠がないということなのではないか、
こう私は考えたいのです。

たとえば、木や種子などの(水以外の)自然物を見た限りでは、
そこに水が見えるわけではありません。
だから、「木や種子は、水からなっているのだ」、とタレスが気づいたその「瞬間」には、
その「水」は、タレスの思考において「見られたもの」、理性(ヌース)において「見られたもの」、
理性の中にいわば閃光のように開け示されたものなのでしょう。

もしそうだとすれば、重要なのは、
そのように理性という場に開示されたものを
水などの質料的なものとして説明したかどうかということよりはむしろ、
そのように理性に開示されることになった当のものは、
単に目や耳や手などのいわゆる五感を通じて把握できる場面に存在していないだけでなく、
人間の理性という場にもなく、これらを超えたどこか或るところ(深淵)にあって、
そこから人間の理性という場にいわば「聴こえてくる」ものだということになるのでしょう。

この意味で、「哲学の始まり」とは、究極的には、
現象世界には事物の存在根拠がないということ、
そしてそれは現象世界の背後の「目に見えない世界」、「深淵」にあるということ
この「深淵」からの呼びかけというか刺激というか閃光というか、
とにかく何かそのようなものに理性が触れて、驚き、困惑しながら、
それに応答しようとすることである、ということになるのでしょう。
by matsuura2005 | 2004-02-04 16:36