管理人 : 松浦明宏
覚え書き - 徳の明証性 -
徳の明証性ということについて、よくわからなくなったので、とりあえず、覚え書き風に書いておいて、後に何か考える時の材料にしようと思います。
まず、論理(学)的・分析的明証性ということについて少しだけ考えてみます。論理的明証性という言葉や分析的明証性というような言葉があるのかどうかはわかりませんが、とにかく、何がしかの論理法則にしたがって、いくつかの前提から推論・計算して結論を導きだし、その推論の一連の過程を通じて、何か或る事柄が「明らかになる」という場合のその明らかさは、論理的な明証性と言うことができるかもしれません。或る事柄に説明を加えることによって初めて明らかになる(はっきりとわかる)という場合も、この種の明証性の部類に入れることにします。

しかし、明証性というものには、これらだけではなく、たとえば、自明性という意味での明証性もあるように思います。何も説明しなくても、何も推論しなくても、それだけで既に明らかだと思えるような事柄です。

美や徳というのは、説明されることによって明らかになるという場合もないわけではないのでしょうが、どちらかというと、説明などされなくてもそれとわかるもののことであると考える場合の方が多いのではないでしょうか。つまり、何かが美しいものであるということは、論理的に説明された後で、初めてそれが美しいとわかるというよりはむしろ、何も説明がなくても、何かを見ただけで直ちにそれが美しいとわかるということです。

徳の場合にも、たぶん、美の場合と同様なのではないかとも思えます。この人のこの行為は、かくかくしかじかの理由により有徳な行為であり、あの人のあの行為は、かくかくしかじかの理由により悪徳行為である、という仕方で、理由を説明された上で有徳か悪徳かが判定されるということが、特に最近の倫理学では多いように思いますが、もしこうした仕方で有徳・悪徳を判定することに何かしっくりこないところがあるとすれば、それは、徳の明証性を、自明性としての明証性よりはむしろ、論理的・説明的な明証性に基づいて考えようとしているというところにその理由があるのかもしれません。

わたしたちが、あの人はいい人だという時の「よさ」、あの人は人徳があると判断するときの徳というのは、ひょっとすると、理由を説明された上で初めて明らかになる(わかる)ものなのではなくて、美の場合と同じく、説明ぬきに有徳であると思える種類の明証性を持ったものなのかもしれません。

ゼミで徳倫理学で何か発表しろと言われているので、このあたりを突っついてみようかな。
by matsuura2005 | 2005-04-28 00:15
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