管理人 : 松浦明宏
実物と映像(1) 問題の提示
映像と実物について、これから何回・何年かかるかわかりませんが、シリーズものを書いてみたいと思います。映像と実物という対照は、虚偽論の文脈でプラトンの『ソフィステース』にも出てくるので、あながちギリシア哲学と全くの無関係というわけではありませんが、とりあえず、ここでは、雑記という形で、自由に考えてみることにします。

書き始めるにあたって、何か明確な結論があるわけではなく、結論がわからないからこそ、とりあえず書いてみて、そのうち何かわかってくればもうけもの、という趣旨で書かれる文章です。その意味で、これからここに書く文章は、あっちへ行ったりこっちへ行ったりと、彷徨することになるでしょうが、その点、書かれている文章の性格が違うのだと、ご理解下さい。

そこでまず、映像と実物というタイトルで何を問題にするのかを、最初にはっきりさせておかなければなりません。以下に、そのことを書きます。
ギリシア語には、エイコーン、ファンタスマ等、「像」を表す言葉がいくつかあります。エイコーンという言葉は、(どこかで言及したように)後に、キリスト教のイコンや、現代では、パソコンのアイコンという言葉へとつながり、ファンタスマやファンタシアはファンタジーという言葉へと通じている、と考えておいて構わないでしょう。

私がここで「映像」という言葉で念頭においているのは、さしあたりは身の回りにある映像、たとえば、映画・テレビ・ビデオなどの動画・静止画や、いわゆる写真・絵画などのことです。しかし、小説など、文章によって描写された人物像や風景描写などもまた、それによって読者がなんらかのイメージを思い浮かべるという意味では、「像」(人物像)と言えるのでしょうから、これもまた広義の映像としてここに含めることは可能でしょう。ともかく、映画であれ小説であれ、人工的に作られた「像」と、そのモデルとなっている実物との異同について、ここでは考えてみるということです。

とはいえ、なにぶん手持ちの材料に乏しいので、それほど専門的に云々することができるわけではありません。また、実物と映像との異同と言っても、上述の通り、さまざまですが、ここでは、次の意味に限定して考えます。

たとえば、ある作家なり、画家なりが描いた作品は、その作品の個々の部分をとってみれば、それが実物の個々の部分と違うのは言うまでもありません。しかし、その作家や画家が一流であれば、その作品は、そのモデルの「核心」を表現しているという意味で、モデルそのものです。

私を知らない人が私のHPだけを見て、私がどういう人間かを想像した場合、実物はその想像とは違っている可能性が高い。ある本を読んでその著者に尊敬の念を抱いていても、実際にその著者に会って見ると幻滅するということはよくある話です。これは、「実際に見てみなければ実像はわからない」、という系統の話です。ネットオークション・インターネットショッピングなどで騙されたというような場合も、この系統の話に含めることができるのかもしれません。

しかし、私が今問題にしたいのは、そうした系統の問題ではなくて、実際に見なくてもその人の実像がわかることがあるのはなぜかという問題です。画家の自画像やよく出来た自叙伝は、確かにその人自身と厳密には同じでないにもかかわらず、その人の本質を適確に表現しているという意味で、実物を表していると考えて差し支えありません。このように、実際には違っていることは確かなのに、なぜそれがその当人のことだと言えるのか。このことを問題にしたいのです。

自分の写真を見て、なぜそこに写っている像があなただとわかるのでしょうか。あなたが毎日見ているのは、鏡に映った顔であって、それは写真に写った顔とは左右逆向きのはずであり、厳密には、あなたが鏡で見ている顔とは違っているはずです。なぜその違っているはずの顔を自分だと考えるのでしょうか。これは、考えてみればそれほどはっきりと説明のできる問題ではないように思えます。

写真で説明するとそうは思えないかもしれませんが、これを絵画の場合で言えば、もっとはっきりするでしょう。似顔絵でも肖像画でもいいですが、あなたをモデルにして絵を描いてもらった場合、それを見て、そこに描かれているのがあなただと思える絵ととても自分を描いたものとは思えない絵とあるでしょう。どういう絵なら自分だと思うことができ、どういう絵なら自分だと思えないのでしょうか。基準はどこにあるのでしょうか。

どちらの絵にしても、「絵」である以上、実物と異なっていることは明らかであり、それにも関わらず、一方はあたなを指示し、他方はあなたを指示しない。これはなぜか。

この問題は、おそらく、写真や絵や映画などを見ているときに「見えているもの」は何かという問題や、バーチャルリアリティーの問題、あるいは、記憶の問題と密接に結びついているように思えますが、これらについては、追々、述べるとして、今は、上記の問題を提示したところで、一区切りつけることにします。
by matsuura2005 | 2004-04-12 22:47
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