管理人 : 松浦明宏
哲学の論文を書くということ(4) - 技術的観点1 -
論文を書くための技術・形式の重要性 −形式は内容の反省を伴う−
哲学の論文を書くということについて、今回と次回は主として技術的な側面について述べます。
前々回述べましたように、論文を書くということは他人とのコミュニケーションの一種なのですから、「自分の言いたいことを読者にわかりやすいように書く」ということが重要になります。
そのためには、そもそも、「自分の言いたいこと」がなければならないわけですから、それを「動機づけ」の問題として、前回述べたわけです。今回は、「読者にわかりやすいように書く」という部分について述べることになります。

読者にわかりやすい論文を書くには、或る程度技術的な側面に配慮することが必要になります。ただ、私が思うに、技術的な側面に配慮することの利点は、単に、読者にわかりやすいということだけではありません。

論文を書く際の技術的な側面は、ある意味で「形式論」なのですが、論文の「形式」への配慮と「内容」への配慮とは、次の意味で、事実上同じ事柄であるように思えるのです。つまり、たとえば、自分の意見の「利点」(内容)を「明示的に書く」(形式に当てはめる)ためには、もちろん自分の意見の「利点」すなわち「内容」を把握していなければならず、そのためには、自分で自分の意見の利点が何であるのかを考えてみなければなりません。そのようにして、自分自身の意見の利点が何であるのかを考え、書いてみることによって、自分の意見の「価値」がどの程度のものであるのかを、自分自身で、或る程度判断できることになるのです。頭の中で考えていたときには、大発見のように思えていた事柄も、実際にそれを文章にしてみると、「なんだ、この程度のものか」と思えてきて、自分が陥っていた妄想から、或る程度抜け出すことができます。

一事が万事で、「接続詞」という形式的な道具を実際に使ってみることによってはじめて、論文の書き手自身が、自分の書いている文章の論理構造を明確に把握できるということもあるのです。どの接続詞を使うべきかを考えるという形式的な作業は、その文と文とのつながりは論理的にはどのようなものなのかという、内容についての反省を伴うのです。

このように、自分の考えている「内容」を明示的に文章化しようとすることによって、内容の質が書き手自身にわかってくる。

自分が何を考えているのか、はっきりわかっていなければ、内容を形式に正しく当てはめることなどできるはずがないのだから、それを逆手にとって、自分の考えていることを形式にあてはめようとすることによって、自分の思考内容を自分自身で確認する。形式に当てはめることができないのであれば、それはそもそも内容がないか、または、自分自身で内容をよく理解していないことの証拠である、

という言い方もできるでしょう。そもそも書き手がよくわかっていないことを、読み手が理解できるはずがない。この意味で下記に述べる「形式」を考慮することは重要なのです。このことに気がついてから、私は、形式論や技術論を軽視しなくなりました。

さて、その技術論ですが、論文を書くための技術を習得するために、いろいろな書物が出版されています。それぞれに特徴があって有益ですが、私が影響を受けたものとして、いくつか挙げておきますと、

野矢茂樹、『論理トレーニング』、産業図書
清水幾太郎、『論文の書き方』、岩波新書
木下是雄、『理科系の作文技術』、中公新書

があります。まず、これらの本から学んだことなどをもとに大まかに整理し、その後、個々の項目について説明する、という手順で話を進めます。

A.文の構成
 ・文と文との論理的な接続関係を自覚すること
 ・接続詞の意識的な使用

B.段落・節・章の構成
 ・一つの段落内では一つの内容を述べ、段落の途中で話題を変えないこと。
 ・段落冒頭にその段落のキーセンテンスを書き、その後、そのキーセンテンスについての説明を書くこと
 ・段落と段落、節と節、章と章との接続関係を明記すること。節と節等の間に、話題の移行を告げる「アナウンス」を入れること。

C.全体の構成・要素
 ・論文タイトル
 ・目次(卒論、修論、博論の場合)
 ・序論
 ・テキストの祖述(書物から題材を選ぶ場合)
 ・問題の提示
 ・在来研究の紹介と批判
 ・自説の提示
 ・自説と在来研究との違いの提示
 ・自説の利点の提示
 ・今後の課題
 ・注
 ・文献表

D.批判と異論の区別
 ・「批判」(critic)は、相手の説の内部的な不備を指摘する種類の反論形態であり、批判が正当であれば、相手の説が「間違っている」ことを証明したことになります。これに対して、「異論」(objection)は、相手の説の内部的な不備についての反論ではなく、相手の説とは独立的に、「別の意見」を述べる種類の反論形態です。異論を立てても、それは、相手の考えとは異なる考えがあるということを示しただけであり、そのことによって、相手の考えが「間違っている」ことを証明したことにはなりません。


以上、A〜Dのうち、今回は、C.の途中まで書き、残りは次回に、ということにします。

A.文の構成
 ・文と文との論理的な接続関係を自覚すること
 ・接続詞の意識的な使用

詳細は、上掲の野矢書をごらん頂くことにして、ここではごく大まかなことだけを書きます。

・順接と逆接の区別
 順接は文の流れを途中で変えないもの、逆接はそれを変えるもの、ということができると思います。 順接を表す接続詞としては、「そして」、「また」、「同様に」、「つまり」、「すなわち」、「言い換えれば」、 「従って」、「それゆえ」、「なぜなら」、「というのは」、「たとえば」等々があり、
 逆接を表す接続詞としては、「しかし」、「だが」、「むしろ」、「これとは対照的に」、「これに対して」等々があります。

・「そして」や「また」ばかりが続いたり、「しかし」ばかりが続かないように、文章を構成する。

・まったく接続詞なしにいくつも文を連ねないようにする(読者が論理構成を考えなくてもわかるようにするため)。

・ある主張内容(B)と理由(A)とを区別し、それを明確に述べるために、 「Aである。従って、Bである。」、「Bである。なぜなら、Aだからだ。」等の形を明記してみる。

・自説と他者見解との対照等、何らかの意味での対照を行うときには、「これに対して」等の表現をする。


B.段落・節・章の構成
 ・一つの段落内では一つの内容を述べ、段落の途中で話題を変えないこと。

 ・段落冒頭にその段落のキーセンテンスを書き、その後、そのキーセンテンスについての説明を書くこと

 ・段落と段落、節と節、章と章との接続関係を明記すること。節と節等の間に、話題の移行を告げる「アナウンス」を入れること。

文の構成は、文と文とのつながりについての話でしたが、段落の構成は、段落同士のつながりについての話です。特に留意すべきは、次の二点です。

・段落冒頭にその段落のキーセンテンスを述べて、その後、その段落内で説明を加える、ということを繰り返してできた文章は、段落冒頭の一文だけをピックアップしていけば、その論文の「要約」になるので、読者にとって読みやすい。 この点については、木下上掲書に詳しく書かれています。

・段落と段落どうしや、節と節、章と章との間には、それらの関係、話の移行を説明するための一文をいれておく必要があります。段落や節など、一まとまりになった文章を「レンガ」にたとえれば、「レンガ」と「レンガ」の間を「セメント」で結合して、論文という「建物」を建てるということです。言い換えれば、あるまとまりを持った話題が終わった後に、次の話題に移るための「進行役」「司会役」を果たす文を、話題と話題の間に入れておく、という言い方もできるでしょう。
この司会役を果たす文があるのとないのとでは、読者にとってその文章全体の理解度が全く違ってきますから、この点は、人に読んでもらうための文章を書くときの「エチケット」の一つであると言えるでしょう。


C.全体の構成・要素(タイトル、目次については説明を割愛)
・論文タイトル
・目次
・序論
・テキストの祖述(書物から題材を選ぶ場合)
・問題の提示
・在来研究の紹介と批判
・自説の提示
・自説と在来研究との違いの提示
・自説の利点の提示
・今後の課題
・注
・文献表

これらは、必ずしもこの順序で書かなければならないというわけではありません。
(論文のタイトルや問題の提示を論文末に書いたり、文献表や今後の課題を冒頭に書いたりする人はいないでしょうから、一定の順序というものはありますが。)
また、上記のように各項目に分けて書いてもいいし、一つの大きな章立ての中にいくつかの項目・要素をまとめて取り込んでも構わないのですが、いずれにせよ、これらの要素が一つの論文の中にあったほうがよいと思います。私は、怠慢から、文献を注の中に書き込んで済ませてしまい、文献表をつけずに論文を書くことが多いですが、論文末にまとめて書いた方が見やすいので、その方がよいと思います。

序論は、「問題の提示」の背景となるものです。いきなり問題を提示しても、「なぜその問題を解かなければならないのか、理解に苦しむ」と言われるのがおちです。自分が解こうとしている問題が「重要な問題」であること、なぜそれを解かなければならないのかを示すこと、それを示すには、その問題が生じたさまざまな種類の「経緯」を書かなければなりません。その「経緯」がどのようなものであるのかは、一概に言えないのでしょうが、私の場合には、論じようとしている問題が現われている箇所のテキストとその箇所についてのごく一般的な研究状況の紹介に充てる場合が多いと記憶しています。序論はまだ概説なので、私の場合には、あまり詳しいことは書きません。人によっては、この概説だけで問題設定と在来研究の紹介と批判をしたことにするという場合もあるでしょう。その場合には、その段階で明確にポイントを絞った問題設定をしておく必要があるでしょう。また、序論の段階で、自分の意見について、基本的な方向や答え(結論)を与えておくと、読者は、どこへ連れて行かれるのか最初にわかるので、安心します。いずれにせよ、私の場合には、「序論は本論全体を書き終わった後に書く」ことが多いです。

テキストの祖述は、論じようとする問題に応じて、さまざまな仕方・場面で行い、要約の形で行ったり、引用の形で行ったりします。要約は「引用のつぎはぎ」にならないようにすべきです。
内容を一旦頭の中にインプットした後で、その同じ内容を自分の言葉に「言い換えて」表現すること。それができて初めて内容が「わかっている」ことになります。この点は、在来研究の紹介についても同様です。また、引用は、すればいいというものではありません。本当に必要なものだけを選んで引用することが大切です。というのは、引用文は、テキストそのものであるという意味で、読者に考える材料を与えますが、反面、論文著者の書いている地の文からは独立的に考えることを要求し、引用が長すぎたり多すぎたりすると、読者に多大の負担を与えることになるからです。つまり、引用文の中で言われていることと、その引用内容について論文著者が行う説明とのつながりは、論文を書いている本人にはよくわかっているのでしょうが、
読んでいる方は、そのつど考えないとわからない場合が多く、それが何度も繰り返されると、読者は考えるのがめんどうになる、ということです。その結果、長い引用文は読み飛ばして、著者の説明だけを追いかけるということになりかねません。そうなってしまっては、引用する意味がなく、単に、紙幅の無駄遣いということになります。なるべく読者が考えなくてすむような書き方をすること、これは、わかりやすい文章を書くために、念頭に置いておかなければならないことであり、単に引用の仕方にとどまりません。また、引用や要約をした場合には、本文中または脚注などに、典拠(著者名・著作名・ページ数)を明記しておくこと。これは、読者がいわゆる「追試」(書かれていることが本当かどうか確かめること)ができるようにするためです。

問題の提示
これは、テキストの祖述と密接に関わるので、祖述を行った後で、私は行うようにしています。いずれにせよ、できるだけ具体的な形で問題を示し、それがその論文が論じる問題であるということを「明言すること」です。たとえば、「なぜ〜なのか。この問題を本稿では検討する。」という一言が明言されているかいないかで、読者の受ける印象と理解度はずいぶん違うと思います。祖述のようなことをした後で、単に「この問題を検討する」と言っても、どの問題なのか、読者にはわかりません。「かくかくしかじかの哲学者のかくかくしかじかの思想・概念について、その意義を検討する。」という類の書き方は、もっとわかりません。「考えればわかるだろう」とか、「後を読めばわかる」、というのは理由になりません。読者がいちいち考えなくてもわかるように書くこと、そこまでに書かれたことだけを読んでわかるように書くこと、それが読者にとってわかりやすい論文の書き方です。問題を問題として明示するには、疑問文の形で書いておくのが読者には最もわかりやすいので、なるべくそうした形で表現しておくのがよいでしょう。それが私の言う「問題の提示」です。

以下、次回へ続く。
by matsuura2005 | 2004-06-26 18:59
哲学の論文を書くということ(3... >>
<< 哲学の論文を書くということ(5...