管理人 : 松浦明宏
日本西洋古典学会発表原稿の概要
日本西洋古典学会第67回大会(2016年6月4日 - 5日、於大阪大学)において、拙稿「『パルメニデス』篇における全体と部分のアポリア」を発表します。

原稿冒頭「はじめに」の一部を引用すれば、次のようになります。

「 はじめに
 プラトンは、後期初め頃の作とされる『パルメニデス』篇の第一部において、中期イデア論への様々な反論を描いており、その冒頭では、一なるイデアと多くのものとの分有(分取)関係への反論を、全体と部分の観点から描いている(131a4-e7)。すなわち、一なるイデアが多くのものに分有されるとすれば、その全体が分有されるか部分が分有されるかのいずれかだが、いずれが分有されるとしてもアポリアに陥る。それゆえ、イデアの分有を説明できない、という反論である。本発表では、このイデア論批判への応答が対話篇第二部に与えられていることを論じる。」


話の大枠は、『パルメニデス』篇第一部のイデア論批判の一つである全体と部分のアポリアへの解決が、第二部第二仮定冒頭の三つの全体部分論(存在する一、一そのもの、部分の中にはない全体)に示唆されているということです。より具体的に言えば、次のようになります。

第一に、第二部第二仮定の存在する一(hen on)の議論では全体と部分との同質関係が示され、これは第一部の全体のアポリアへの対応、つまり、一なる全体がどうして諸々の全体へと分離するのかという問題への対応と見られる。

第二に、第二部第二仮定の一そのものの議論では、諸部分の構成要素として数が導入されており、これを基数としてでなく識別子としての数と解釈すれば、第一部当該箇所における帆布の比喩に引き続いて現れる部分のアポリアは解消される。

第三に、上の二つの議論だけでは、一なるイデアと事物との分有関係は説明できず、それを説明するための示唆と考えられるのが、第二仮定の三つ目の全体部分論と第一部の日の比喩である。第二仮定の三つ目の全体部分論では、限定する全体としての一が無限定であると解釈される。無限定は何ものにも限定されないため、イデア界と事物の世界との境界によっても限定されず、その境界をも乗り越える。それゆえ、無限定である限定する全体としての一はこの世の事物と関わりを持つことができ、事物によるイデアの分有が可能になる。その様子は、あたかも日(hemera)が万有を照らすかのようである。

おおむね、以上の内容の発表を行います。

この発表内容は、2015年の『東北哲学会年報』No.13, 35頁-50頁に発表した拙稿「イデア不可知論と「瞬間」(to exaiphnes) -Plato Parmenides 156d2-3-」を、全体部分論の観点から発展させたものです。
by matsuura2005 | 2016-05-24 12:16 | 研究ノート
哲学講義19 - プラトン(7... >>
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