管理人 : 松浦明宏
携帯とひきこもり
少し前に、小此木啓吾という精神分析学者が亡くなったという話を知り、あぁ、とうとう亡くなってしまったか、と感慨にふけりました。

小此木啓吾という人は、『モラトリアム人間の時代』(だったかな?)という本を書いていて、それを、1980年代初め頃、大学一年生だった私は何度か読んで印象深かったという記憶があります。山アラシ・ジレンマ、つまり、あまりに深くつきあいすぎると傷つくので、あまり深い人間関係を持とうとしない一方で、まったくの孤独もいやなので、或る程度、表面的な人間関係を持とうとする、というような話が記憶に残っています。それ以来、小此木啓吾という人の名前は、何度か書店などで見かけて、まだ頑張っているのだなと思いつつ、特に、この著者の本を買って読むということはなかったのですが、最近、ケータイのことを調べ始めると、小此木氏もまたケータイについて書いていることを知り、その本を買いました。『「ケータイ・ネット人間」の精神分析』(朝日文庫)です。

この文庫本を実はまだ、ぱらぱらとめくる程度にしか読んでいないのですが、やはり、相変わらず、小此木節が健在のようで、二十年前の『モラトリアム人間の時代』と「同じようなことが書いてある」という、少しばかり「失礼なやつ」と思われるかもしれない印象を受けました。「内的ひきこもり」というように、言葉は替わっていますが、やはりこの本の中でも、山アラシ・ジレンマ論が基調になっているように見受けられました。「内的引きこもり」(深くはつきあわないが、一応、学校や職場などで、社会生活は営んでいる)と、「外的ひきこもり(社会的ひきこもり)」(自宅にひきこもって、社会に出てこない)とを区別している点は、勉強になりました。

書籍冒頭付近に書かれている「携帯電話に夢中で事故死」のところは、印象的です。携帯に夢中になって歩いていた女性が、電車にひかれて亡くなったという事件が採り上げられていて、これは仮想現実と現実とをうまく使い分けることができなかったためであり、その意味では、それは、「あたかも妄想と幻聴の世界を現実と思い込む人」と共通の、異常な心の状態にある、ということです。妄想と幻聴の世界を現実の世界と思い込む人は、たとえば、或る他人を、自分の頭の中で恋人と思っており、その恋人が幻聴によって話しかけてきて、それに対して、独り言をもって応える、という仕方で通信しているということです。携帯で通信をしている人もこれに似て、目の前の現実とは離れた世界と(周囲から見れば)「独り言」をもって応えている。現実とは離れた世界へと「ひきこもっている」というわけです。

「分裂」という状態がどういう状態なのかについて、小此木氏の記述によれば、次のように書かれていました。

「自分のことを天皇と思い込んで行動し、不敬罪で逮捕されて、妄想を持つ精神病者」として入院している人は、「昔は、妄想を現実の世界に持ち込んだので事件になった。いまは妄想の世界と現実の世界を一応両立させている。天皇の自分と、掃除係[病院内での日課]の自分の矛盾にあえて直面しないまま暮らしている。この状態を『分裂』という」(同書、27頁)


となると、ケータイを用いて通信しながら、現実世界と仮想世界とを使い分けていた場合に、その状態は「分裂」とどう違うのか、小此木氏の本の記述からは、私にはよくわかりませんでした。ケータイの使用者は分裂病なのかと言えば、そうではないのでしょうから、どこかに違いがあるはずなのですが・・・。

ともかく、読んでいて面白い本なので、一読をおすすめします(まだ私は全部読んでいないのに、こんなことを言うのも変ですが)。
by matsuura2005 | 2005-11-10 16:43
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