管理人 : 松浦明宏
ちょっと一息
最近、自著に関するアップばかりで、コアな内容にあきれている方も多いかと思います。
実際、そうなので、そのうち話題を切り替えようと思います。

ただ、シュライアーマッハーという哲学者は、プラトンの対話篇の読解にとって重要人物であるわりには、現在では、あまり正面切って話題にされることがないように思えますので、紹介することにしたわけです。と言っても、ほどほどにですけれど。

シュライアーマッハーの考えているように、プラトンの対話篇から「秘教」を読み取ることができるのか。これは、研究者の立場を離れて言えば(むしろ、研究者だからこそかもしれませんが)、一つのロマンなのかもしれません(ロマンとはいかにも古風な言い方ですね。使っていて少し恥ずかしくなりますが、まぁいいや)。私としては、秘教を読み取ることができる方に賭け、「これがプラトンの秘教への入り口だ」みたいなことを自分の論文の中でも書いているので、基本的にシュライアーマッハーを親近感をもって見ており、そうしながらも、シュライアーマッハーとは一線を画し、自分なりの秘教路線を走っています(テキストに基づく「合理的な秘教主義」。そんなものあるのか、と思われるかもしれませんが・・・)。

もっとも、こう言うと、怪訝に思われるプラトン研究者の方がいるかもしれません。シュライアーマッハーというのは、秘教主義ではなくて、顕教主義なのではないのか?

こう思われる人へは、こうお答えします。つまり、これまではシュライアーマッハーを顕教主義者と考える人が多くて、その意味でシュライアーマッハーは誤解されてきたのだ、というのが、テュービンゲン学派のスレザークの指摘を踏まえて言えば、私のこのシュライアーマッハーの紹介の要点なのです。

ただし、スレザークは折角シュライアーマッハーの秘教主義を指摘していながら、その秘教主義の内容を誤解しています。その点で、同じテュービンゲン学派でもクレーマーの方が一枚も二枚も上で、自分の論敵の姿をより正確にとらえている、というのが、私の現在のスレザーク-クレーマー評です。

いや、またもやコアな内容になってしまいましたね。どうも失礼いたしました。
by matsuura2005 | 2005-10-19 23:48
プラトン解釈(3) -シュライ... >>
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