管理人 : 松浦明宏
拙著の出版
今年度末(3月)頃の予定で、東北大学出版会から拙著が出版されることになりました。
現在手元にある原稿にさらに推敲を重ね、タイトルについても、業績表に掲げたものを再吟味して出版することになると思います。
(まだ出版されていないものを業績表に載せるな、と言われそうですが・・・。)

査読者の方には、ずいぶんと粗雑な原稿を読んでいただくことになってしまって、恐縮します。著者自身が原稿を提出し終わった直後から後悔し始めたぐらいの出来ですから、それを読まなければならないというのは、どれほど苦痛が伴うか、想像するに難くありません。

内容的に、私の書いたものが、読者、特に、古代ギリシアの専門家にどの程度まで受け入れられるのか、なかなか、前途多難といったところかもしれません。私のキャラクターは、「ラディカルなオルタナティブを目指す」ところが多分にあると自分では思っているのです。これまでの解釈の枠組みとは異質な枠組みを自分で作って、それを基盤にした解釈を提示するということは、たとえて言えば、科学者集団の中に入っていって文学を論ずるのに似て、相手にされない可能性が高い。パラダイムが違っている者同士の間では、対話が成立しないという言い方もできるのかもしれません。私としては相手方のパラダイムを批判したつもりでも、相手方は自分が批判されたとは思っておらず、相変わらず今まで通りのパラダイムの下で議論を続けていく。いくら私がテキストから証拠を出して「ほら、ここがおかしいじゃないか」と言っても、ものの見方が違うので、大した問題ではないと思われ、まじめに耳を傾けてはもらえない。批判されたと思っていないから、私の説も「一つの可能な解釈」ではあるが「説得力に欠ける」、だから自分はその解釈にはコミットしない。何かこのような扱いを受けそうな気がするわけです。しかし、そういう扱いを受けたとしても、私としては、自分で考えて正しいと思ったことを書くしかないわけで、今回の拙著もその路線で突っ走っています。

そうはいっても、少しこれは、極端な話でして、実際には、私の説が完全に新しいものというわけでもないのです。このあたりは、なかなか表現しにくいのですが、これも喩えて言えば、「既存のレール」の「断片」を使って「新しい道」を作る、ということになるのかもしれません。その「道」を構成している材料は既存のものですが、敷かれている線路全体は、今まではなかった路線になっている、ということです。確かに、「ユニタリアン」というプラトン解釈の立場は、昔からあり、私もまたユニタリアンの一人だということになれば、私の解釈は、やはり既存の線路の上を走っているということになるのでしょう。しかし、ユニタリアンとはいえ、プラトンのディアレクティケーと最大の五類と不文の教説とを一つの「線」へとリンクさせて論じた解釈者が、今までいたのかということになると、(私が知らないだけなのかもしれませんが)、あまりいなかったのではないか、と思える点では、私としては、自分のオリジナリティーを主張できるのではないかと思います。また、そもそも、現在のプラトン解釈の主流は、非ユニタリアン解釈ですから、その点でも、私の解釈は、現在のプラトン研究の中で、特異な位置にあるものと思います。

ともあれ、査読者から貴重なコメントを頂くこともできましたので、それを十分考慮に入れた上で、締め切りまで頑張って推敲しようと思います。幸い、自分の言いたいことだけははっきりとしていますので、それをどのように他人にわかりやすく書くかということが、いつものこととはいえ、最大の難問となるのでしょう。論文スペースでは、結構何度も行ってきたことなのですが、ブックスペースでそれを行うというのは、博士論文以来、これで二度目です。博士論文の時は、ただ書きなぐっただけだったので、二度目ともなれば少しはましになるかと思ったら、なかなかそうはいきませんでした。応募原稿の締め切り直前の一週間で、四百字詰め原稿用紙に換算して約300枚を書き下ろす、というようなことを今回もしてしまい、結局、またもや書きなぐり状態で提出となってしまったのです。合計500枚程度のものですが、そのスペースで、これまで書いたいくつかの論文内容を反映させて、かつ、新たな内容も盛り込んだ上で、一つのストーリーを作るというのは、私にはかなり骨の折れる作業で、結局、締め切りが迫らないと筆がすすまないため、上述のようなことになってしまったのかもしれません。

何のかのとごたくを並べましたが、自分の考えを、書籍の形で詳述する機会を与えられただけ幸運だと思いますので、一生懸命、推敲に励みたいと思っています。
by matsuura2005 | 2005-09-18 01:37
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