管理人 : 松浦明宏
哲学授業の「レポート」評
最近、前期の試験とレポートの評価に追われる毎日です。

特にレポートについてですが、採点をしていて思ったのは、ご多聞にもれず、「コピペ文化」です。昔はインターネットというものがなかったので、調べた本を丸写ししても、参考文献が答案にかかれてなければ、それを丸写しと確認するのは難しかったと思います(おおよその見当はつけられたはずですが)。しかし、インターネットで調べたものを丸写しした場合には、教官の側で簡単に調べることができます。書かれた文章の中の、単語ではなくて、ある程度まとまった長さの句や文章をgoogleにかければ、それが丸写しであれば、どこからとってきたのか、たちどころにわかります。実際、今回のレポートの中にも、そういうものが多数ありました。学生が調べやすいということはつまり、教官にはもっと調べやすいということなのです。

こんな見事な文章を大学生(特に大学一年生)が書けるはずがないと思えるような見事に整理された文章が書いてある場合には、九分九厘、丸写しです。実際、哲学者の思想内容をまとめてもらった部分の文章と、それについての自分の意見を書いてもらった部分の文章とが、質的に全く違っていて、後者の方は、大学一年生らしい文章が書いてあるのに、前者には、学者の書く文章が書いてある。中には、自分の意見を述べる、と書いてはあるけれども、中身は、相変わらず他人の意見の丸写し、というレポートもあります(ただし、以上は、典拠を示すことなしに、引用ではなくて無断転載された文章からなる答案についての話です)。

やはり、大学生が自分で考えて書いた文章と、学者などの書いた文章を写したものとでは、雰囲気がちがっているので、全部読まなくても2〜3行、或は、4〜5行読めばすぐそれとわかってしまうのです。思想内容をインターネットで調べること自体は別に悪いことではないのですが、それを自分の言葉で表現し直すということをせず、そのままコピーするというところが問題なのです。人の書いたものを調べるのはいいけど、自分の文章を書いて欲しいですね。文章はつたなくても、自分でまとめて書いたものは後にのこる可能性が高いですが、そうでないものは、書き終わると同時に忘れてしまいます。書いている最中にさえ覚えてはいないでしょう。

これだけネットからの転写が多くなってくると、哲学者の思想内容についてレポートで評価することの意味はなく、実質的には、自分の意見をどのように述べているかというところで評価するしかないという気がします。

ちなみに、その「自分の意見」を書くように指示した部分に、こういうふうに書いてあるレポートがありました。

「自分の意見
  ソクラテスとプラトンについて調べてみて、ソクラテスの哲学は、誤解されたというのはつまり、世の中の人にとって、他人を吟味して反論することは、法廷などで相手をやっつけるためにする類いのことでしかなかったということです。したがって、根本的には、「対話」ということについての理解がソクラテスと世の中の人々とで違っていたこと、このことがソクラテスを死においやった最大の原因であり、同時にまた、ソクラテスの名を後世に残すことになった一つの大きな原因なのでしょう。ただし、それだけでないことは明らかですから、次回は、もう少し別の角度からソクラテスの思想を見てみたいと思います。プラトンの哲学について、プラトニック・ラブを直訳すれば「プラトン的な愛」ということになるでしょうか。この言葉はたいてい小学生高学年から中学生くらいになると、一度や二度は耳にするものだと思います。
私が何時この言葉を初めて聞いたのか、忘れてしまいましたが、まあそれはいつでもいいとして、ともかく、プラトニック・ラブという言葉の意味は、肉体への愛を超越した精神的愛、というあたりに落ち着くことが多いのではないかと思います。」(下線は私(松浦)がつけたものです。)


このレポートは、レポート作成者が「自分の意見」であるとして書いてきたものですが、言うまでもなくこれは、私(松浦)のHP内容の無断転載です(「無知の知」末と「プラトニック・ラブ」の冒頭)。レポート作成者自身の言葉は下線部のみで、あとはすべて私のHPの丸写しです。しかも、それをレポート作成者の意見として提示しているわけですから、盗作だといわれても仕方がないと思いますが、いかがでしょうか。こういうレポートを見てしまうと、このHPで哲学講義ノートをアップすることがよいことなのかどうかわからなくなってきますが、まあ、上のようなのは、ちょっと特別なので、これからもHPに哲学講義等をアップしていこうとは思います。
by matsuura2005 | 2005-09-02 19:01
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