管理人 : 松浦明宏
ネットの匿名性
コンピュータ・エシックスの歴史をたどってみると、
1990年代の半ばまでは、主としてコンピュータに関する専門家の職業倫理としての側面が強かったけれども、
それ以降は、誰でもインターネットを使うことができる環境になり、
コンピュータ・エシックスを単に職業倫理としてとらえるだけでは不十分になった、と言われます。

そうした現代的なコンピュータ・エシックスの内容としては、
セキュリティーやプライバシーの問題など、さまざまなものがあるわけですが、
ここではそのうちの一つ、匿名性(アノニミティ)について、少しだけ考えてみます。
これは今後の私の研究の一つの準備でもあります。

ネットの匿名性に関する議論の種類としては、
現在の私が知る限りでは、大別して次の三つがあるように思えます。

議論1 -ネチケット論-
実名がわからなければ、発言内容についての責任を問われにくいため、他人の悪口などを含めて、掲示
板などに言いたいことを書き、場合によってはそれが犯罪につながる。
その意味では、ネット上の匿名性は問題含みである。
しかし、そうかといって、発言内容を制限しようとすれば、
「言論や思想の自由」と折り合いが悪くなる。
むしろ、現代社会では、匿名で発言することによって、やっとのことで言論や思想の自由が確保されているという側面もある。
その意味で、ネット上で匿名性を確保することは有意味である。
だから、匿名性を通じて言論や思想の自由を確保しつつ、それが犯罪や訴訟などへつながらないための一つの妥協案として、
ネチケットの必要性が説かれる。
(ネチケットが匿名性の問題に固有の要請かどうかは微妙なところですが。)

議論2 -コミットメントのなさ-
匿名性は、それを用いる人に、ネット上で自分が携わっている事柄への本当のコミットメントを失わせる。
ネット上で何をしようと、基本的には、リスクがない。
自分に都合の悪い状況に陥ったらいつでも逃げ出し、「リセット」できる。
その意味でそれは、どれほどその活動に熱心であろうと、「ゲーム」にすぎない。
だから、そもそもインターネットによって他者と本当の意味でコミュニケートすることはできず、
もし他者と本当の意味でコミュニケートしたいのであれば、現実世界においてそれを行わなければならない。

議論3 -自分の居場所がない-
さまざまな家庭環境、学校や会社でのいじめ等々により、
現実世界には自分の居場所を見つけることができない。
だから、ネットに匿名で自分の考えを書く。
そうすることでようやく自分の居場所を見つけることができる。

このような大雑把な理解でよいものかどうかわかりませんんが、
ネット上の匿名性にまつわる話の流れとして、こうした方向での議論があるように思えます。

上にあげた三つの中で、少なくとも私にとって、
ネット上の匿名性の問題を考える上で最も重要な問題と思えるのは、
最後にあげた「居場所のなさ」という問題です。

高校の時、不登校になったこと。
大学でも居場所のない状態が何年も続いたこと。
私自身がそういう状況に陥ったことがあるのを考える時、
ネチケットやコミットメントを云々できる人たち、
あるいは、ネチケットやコミットメントを云々されることのできる人たち、
そういう人たちがむしろうらやましいくらいのものです。
もちろん、これらが重要でないということではないのですが。

言論や思想の自由の主張という問題と
ほかに居場所がないためにネットにくる人の「存在意義」の問題とを
同じ場面で論じることができるのかと言うと、どこまでそれが適切なのか。
どちらも基本的人権の尊重という形で統合できるのか(後者は生存権)。

言論や思想の自由が保障されている「から」、自分はここで発言する(権利がある)、
という仕方で、自分の発言の理由を説明する(正当化する)傾向と、
ほかに行き場がない「から」、自分はここで発言する(しかない)、
という仕方で、自分の発言の理由を説明する傾向とでは、
発言の「理由」は同じではないように思えることは確かです。

また、現実世界で人とコミュニケーションをとることが難しいという人に向かって、
現実世界で人とコミュニケーションをとることを主張しても
あまり意味がないように思えます。
それはいわば、もう現実世界ではこれ以上頑張ることができない人に向かって
頑張れと言っているようなものですから。

そういう人が匿名であれ何であれ、ネットに書いて多少でも自分を取り戻すことができるのなら
匿名でものを言うということには意味があるように思えます。

家にも学校にも会社にも居場所がなくなってしまうと、
私のように、あちこち、どこへ行くともなくふらふらしながら、
時間だけが過ぎていくというようなことになってしまうような気がします。
それに比べれば、どういう形であれ、自分の考えを話すことのできる場があることの方が、
よいことに違いはない。
インターネット上の匿名性の問題を考える場合には、
こうした事情も考慮に入れる必要があるのでしょう。
ただ、こうしたことは、おそらく既に他の人も言っているのでしょうから、
私のオリジナルな意見であるということにはならないのでしょうけれども。
by matsuura2005 | 2004-07-09 07:05
哲学の論文を書くということ(5... >>
<< 卒論構想発表会